【はゆのトンデモ地球論】その9

にゃすとん はゆです♪



はゆのトンデモ地球論、第九回目です。
でも、読まれる前には注意があります。
はゆのトンでも地球論は第一回目から順番にお読みください(`・ω・´)

 →【はゆのトンデモ地球論】
















では、【はゆのトンデモ地球論】の第九回目に行きましょう♪

第九回目のテーマは【ecoとegoその3】です。

















さて・・・長々と引っ張りましたが、
「エゴ」と言う言葉の「裏の矛盾」を明らかにしていきましょう。





まずは「自我」と「他我」と「非我」を動物の世界に入れ込んでみます。
ここではライオンを例にしてみましょう。

ある一匹のライオンがお腹を空かせています。
そこで、ライオンがレイヨウを襲い、レイヨウを食べて飢えを凌ぎました・・・。

この時のライオンの行動は「自我」です。
ライオンの「勝手」でレイヨウを食べたのですから。
そして、レイヨウにしてみれば、ライオンの行動は「他我」です。
ライオンの「自我」を押し付けられたのですから。



さて・・・
実はこのライオンとレイヨウの関係ですが、
全体図を見るととても凄い矛盾が生じてきます・・・
その矛盾とは・・・このライオンとレイヨウの関係全体が「非我」であること。

ライオンがレイヨウを食べる姿は「自然」です。
そこに「自我」も「他我」も存在しません。
だから、「非我」なのです・・・

これって矛盾以外の何者でもないですよね。
ライオンが取った行動は明らかに「自我」です。
なのに全体図を見れば、「非我」になる・・・。

でも、不思議なことに、このライオンが人間であれば・・・

人間がお腹を空かせました。
お金が無いことには食事が出来ないので働きます。
得たお金で食事をして、空腹を満たしました・・・

人間がとった行動は「自我」ですが、
この全体を見ても「非我」ではありません・・・

















実は、この矛盾は「自我」の大きな定義が原因で起こるのです。
その自我の大きな定義とは人間の「自我」が「知性と理性」で出来ているという事。

実は上の例であげたライオンの「自我」は本能に非常に近い割合で結ばれています。
「お腹が空くから食べる」と言うのは生き物の本能。
そして、本能に従ってレイヨウを狩って食べたのだから
ライオンの「自我」は非常に「本能」に近いのです。

これが人間である場合・・・
お腹が空いても、モノが買えなければ飢え死にしてしまう。
だから働いてお金を得る。
そして、得たお金で生きるための生活を営む。
人間の行動における「自我」は「本能」と「自我」の間に
「理性」と言う概念思考が挟んでいるため、「本能」と直結していない・・・
すなわち「非我」にはならない・・・と言う定義があるのです。





つまり、この「自我」と言う定義には
欠かせない条件があり、それは「自我」は「知性と理性」が無ければならないと言うこと。

しかし・・・
この「知性と理性」を自然内の本能と分けて考えることが、本当に可能でしょうか?

例えば「理性」に関して。
感情をコントロールする能力、本能を押さえつける能力ですが、
これだって多くの生き物が「本能」で行っています。
例えば、ライオンの群れが居たとして、お腹が空いているとします。
ライオンの群れがエサを見つけたら「本能」はエサを食べようとします。
しかし、ライオンの群れの場合はエサを食べる順番が決まっていて、
一番にオスが食べ、続いて体の大きなメス、最後に子供が食べます。
彼らは、オスが食べ終わるまで待っていなければいけません。
通常は子ライオンがオスライオンの食事に割り込めば、オスライオンに殺されます・・・
殺されないために待っている訳ですが、
これは「食欲」と言う本能を押さえつけていることになります。
つまり、人間の理論で言えば「理性」だといえるのです。

人間が、お腹が空いても人のモノを盗めば捕まるから
働いてお金を稼いで、そのお金で食事を取る行為と全く変わりありません。

確かに、人間以外の動物たちの方が考え方がシンプルで、
人間の考え方は複雑ではありますが、
結果やっていることは、人間も、それ以外の生き物も代わらないのです。
人間が「理性」と考えているものは実のところ「本能」であると言えるのです。
本能を押さえつける技術が発達した脳を持っているだけに過ぎず、
仮にそれを「理性」と名づけたとしても、
それが「自我」「非我」の考えに結びつけることは出来ず、
人の行動をエゴとすることにはならないのです。
(人の行動をエゴとするならば、自然界全てがエゴになると言えます)

そして、人間の「理性」が本能であると考えることが出来るなら、
人間の「自我」の行動は広い視野、それこそ神様(これは例え)から見れば、
人間の行動すらも「非我」になりえるのです。

















これが「エゴ」と言う言葉の裏の矛盾です。
こんな風に考えると、
「人間のエゴ」って「言葉」に振り回される必要なんて何も無いんですよね・・・

【はゆのトンデモ地球論・その1】で結論を出した図を思い出してみてください。
人間は自然の中の一部でしかないんです。
別に、地球を破壊することを推進する意味ではありませんが、
「ゴミを道端に捨てる」「車のアイドリングを行う」「森林を伐採する」
こういった行為すら自然の一部と言うことになるのです。
by mikenekohanten | 2007-02-17 21:45 | 雑談