【はゆのトンデモ地球論】その10

にゃじゃぶ はゆです♪



はゆのトンデモ地球論、第十回目です。
でも、読まれる前には注意があります。
はゆのトンでも地球論は第一回目から順番にお読みください(`・ω・´)

 →【はゆのトンデモ地球論】
















では、【はゆのトンデモ地球論】の第十回目に行きましょう♪

第十回目のテーマは【本能の中のマナー(自我の中の超自我)】です。

















さて、今回のタイトルは「本能の中のマナー」ですが、
実は「ecoとego」と言う前回までの話の続きとなります。

前回の最後には
 >人間は自然の中の一部でしかないんです。
 >別に、地球を破壊することを推進する意味ではありませんが、
 >「ゴミを道端に捨てる」「車のアイドリングを行う」「森林を伐採する」
 >こういった行為すら自然の一部と言うことになるのです。

と言う風に締めくくっていまが、
この結論は飽く迄「自然の中の自我」と言う意味でのモノの考え方であり、
「何でも好きなようにしても良い」と言う事を言いたい訳ではありません。

今回はそんな話を書きたいと思います。

















人間が人間社会で生きていくのに、人間社会のルールと言うものがあります。
例えば、作法であったり、道徳であったり、法律であったり。
こういったルールが何故あるのかご存知でしょうか?

実は、自分であったり、他人であったり、
人間社会で生活してる人間同士を守るために存在しているのです。
法律を考えれば早いかもしれませんね。
法律は通常人間の尊厳を守るものです。
道徳は善(全ての人が安心して暮らせる状況)を見出すものですし、
作法は周りの人間を不快にさせないと言う考え方であり、
どれも、自分を相手を守るために存在していると言えます。

学生時分は「ルールは破るためにある」なんて言い方をして
校則を破る事をやっていた私ですが、
今思えば、その校則にすらちゃんとした理由があったのかもしれません。

















集団社会に置いてルールと言うのは絶対的なものでないといけません。
これは人間以外の生き物でも当たり前のように続けられています。

例えば「アリ」を例に出してみると
アリの有名な習性に「仲間を識別するフェロモン」があります。
これは巣の中に居るアリが仲間であるかを判別するためのもので、
通常は、その仲間を識別するフェロモンを持たないものは「敵」であるとみなされます。

この「仲間を識別するフェロモン」は実は人間で言うところの"ルール"に当たります。
お互いにアリ社会でアリ同士を守るための"法律"なのです。

1匹のアリが「私はそんなフェロモン嫌いだから出さない」と言って
フェロモンを出さなければ、その出さないアリは「敵」とされて襲われ殺されます。
他のアリを守るため、仕方ありません。
何よりこのアリは"ルール"を守らなかったのですから、
何らかの理由で罰せられても仕方ありません。
それが、他のアリたちを危険に晒す行為になりますから。

もちろん、こういった人間以外の多くの生き物では
基本的にルールはDNAに組み込まれているものです。
無意識で動く「本能」と言えるでしょうか。





では人間が定めた"ルール"はどうでしょうか。

実は、人間の定めたルールもまた「本能」であると言えるのです。
ただし、アリの例えのようにルールが
一人一人のDNAに組み込まれているわけではありません。
人間の本能は先の【はゆのトンデモ地球論・その5】で述べたように
「情報を得ること」と「情報を伝達すること」であるとしたとき、
昔から蓄積して来た情報を、次の世代の子に「教え」る事で
そのルールを今に伝えています。

人がどのようなルールを残せば
お互いが安心して暮らせるかを蓄積した結果とも言えます。
人はDNAに組み込まない変わりに、次に伝え残す方法を取ったのです。
こういった形で残されたルールは
やはり、人間特有の本能によって残されたと言えるのです。



確かに日本の法律では
微妙なニュアンスであからさまに個人に対して
優遇したルールを設けている事もあるかも知れません。
しかしながら、それを込みにしたとしても、
人間がお互いに安心して生きていくためのルールは破ってはいけないのです。

















近年のマナー低下や法律違反を見ていてふと思うことがあります。
マナーなんてものは「親(親の世代)」が子供に伝えなければ伝わりません。
人間は自己を守るルールを知らずに生まれ、覚える本能で自他を守るのです。
では何故、子供たち(次の世代)はマナーといったものを覚えないのか?

それは「親が教えていない」からなんです。

例えばゴミを道に捨てる子が居たとしましょう。
親がそれを叱ることが「教えること」ではありません。
もちろん、叱ることも大切ですが、親が捨てない事を実行し、子供に見せ、
さらにその周りに捨ててあるゴミを拾うことを教えなければならないのです。
自分だけが捨てなければ良いのではない。
既に道に落ちているゴミは放置して良いわけではない。


「ゴミを拾うという大変さを知るから、ゴミを捨てなくなる」のです。


こう考えると徐々に「本能の中にあるマナー」解かってくるはずです。
そして人が生きていくために必要なルールが
本能と密接していることを知れば、
その「ルール」が必要不可欠であり、守らないといけないものだと解かるのです。
by mikenekohanten | 2007-02-18 21:15 | 雑談