【はゆのトンデモ地球論】その19

にゃりゅとす はゆです♪



はゆのトンデモ地球論、第十九回目です。
でも、読まれる前には注意があります。
はゆのトンでも地球論は第一回目から順番にお読みください(`・ω・´)

 →【はゆのトンデモ地球論】
















では、【はゆのトンデモ地球論】の第十九回目に行きましょう♪

第十九回目のテーマは【ガキの使いを知らない大人、子供たち・2】です。

















前回、違和感を感じると言った、ご年配の方の発言。

その頃は小遣いなんて貰ったことが無くて。
 親たちは家の仕事で一生懸命だし、
 自分たちも働かなければ食べていけない時代だったから
 親の手伝いは日課のように行っていた。
 今みたいに小遣いなんてもらえる時代じゃなかったんだ。
 だが、ごく稀にお小遣いをもらえるときがあって。
 タバコが好きな親父がタバコを買ってきてくれとお金をくれる訳だ。
 私は親父が渡したお金を手にタバコを買ってくる。
 そして、親父にタバコを渡すと、親父は「おつりは小遣いに取っておけ」というのだ


この違和感を感じた後、
私が大阪のボランティア団体から脱退するまでの間、
ご年配の方と話をする機会があるたびに
「子供の頃のお手伝い」と「お小遣い」の話題を切り出し、統計を取ることとした。

その数は30人以上。

統計と呼ぶには数が少々少ないかも知れない。
しかし、この統計による私が感じた違和感は30人中30人。
つまり100%であった。
これは昔の方が、ほぼ間違いなく、この経験をされていることになる。

















上記の発言のどの部分に、私が違和感を感じたのか。
それは大人と子供の取引の順番である。

















この違和感に感じるには、相対する考えが無ければいけない。
今回の話は「昔の人の子供の頃の"お手伝い"と"小遣い"の話」である。
この話に相対する考えは「現在の人と子供の"お手伝い"と"小遣い"の話」になる。

解かりやすいように昔の人の考え方と、現在の人の考え方を箇条書きにしよう。

 昔の人のお手伝いと小遣いのやり取り
  1.大人が「仕事」を依頼する。
  2.子供がそれを承諾し、仕事を行う。
  3.大人は子供の仕事対する報奨を与える。

 現在の人のお手伝いと小遣いのやり取り
  1.大人が報酬を提示し「仕事」を依頼する。
  2.子供がそれを承諾し、仕事を行う。
  3.大人は子供の仕事対する報酬を与える。

このように二つを並べれば一目瞭然だろう。

















ここでは、子供が行うお手伝いとお小遣いの関係を「ガキの使い」として話を続ける。

昔の人が行ってきたガキの使いは、
私が得た統計から考えれば、「小遣い」を与えることを前提としていない

 大人が子供に仕事を与え、子供がその仕事を行う。
 そして、その仕事の成果として報奨を子供に与えているのである。

先に述べた例を考えてみよう。

タバコが好きな親父がタバコを買ってきてくれとお金をくれる訳だ。
 私は親父が渡したお金を手にタバコを買ってくる。
 そして、親父にタバコを渡すと、親父は「おつりは小遣いに取っておけ」というのだ


この文章を見れば、
「親父」は子供に「小遣いをやる」とは一言も言っていない。
だが、従順に仕事を行った子供に対し、おつりを小遣いとして与えているのだ。

他の年配の方々から取った統計を見ても、
この「報奨」に値するものがお金ではなく、お菓子であったりと言う違いは見られるものの、
すべてにおいて自分が行った行いに対して、
親がちゃんとそれを見ていて報奨を与えているのである。


このやり取りをどこかで見たことは無いだろうか?
実は、この話はトンデモ地球論17で語った「徳」の話に通じるのだ。

見返り無く、家の仕事に従事したのだから、
それなりの報奨がめぐってやってきている。
つまり、昔の人のガキの使いとは
「徳に至る道」、すなわち「道徳」を教える大切な手法だったと言える。







逆に現在の人が行っているガキの使いを考えると、
「小遣い」を与えることを前提としていることがわかる。

大人が子供に仕事とその報酬を提示し、子供が仕事を行う。
そして、その仕事の成果として報酬を子供が得ているのである。

昔の人のガキの使いが「徳」を教えていたとするならば、
現在の人がガキの使いを用いて子供に教えていることは

「商いを売り上げる事」、すなわち「商売」を教えていると言えるのだ。


現在の人の言うガキの使いが
実際にどこで使われているか解からないという人は居るだろうか?
そう言う人は、周りの大人たちが子供たちに言っている言葉を良く聞いて欲しい。
必ずどこかで耳にしたことがあるはずだ。

例えとしていくつか出すことにしよう。
 「お小遣いを上げるから、お手伝いしてくれない?
 「テストで100点が取れたら、好きなオモチャを買ってあげる
飽く迄、例えであるが、
これに似たニュアンスの言葉を必ずどこかで聴いたことがあるはずだ。
報酬となりえるものを先に提示していることが解かる。

「最近の子供は計算高い」なんて言う評論家も居たが、
計算高いのは当たり前なのだ。
子どもの頃から「商売」の英才教育を行っているのだから・・・。

















昔の人が行っていたガキの使いも
現在の人が行っているがきの使いも
どちらも結果として子どもには「報い」が行く。

もちろん昔の人の行っていたガキの使いも
子どもからしてみれば「お小遣いをもらえることは解かっていた」だろうし、
今ほどモノが豊かでない時代だからこそ、与えることが出来ないために
上記のような方法を取っていたのかも知れない。

しかし、こうも取引の順序が違うだけで、
子どもに教えている内容がガラリと変わってしまうのである。

そして、こういった考え方は
確実に「真っ白な子どもの心」に刻まれるのだ。

だからこそ「徳」を教える昔の人のガキの使いを大切にして欲しいのだ。





子どもにテストで良い点を取らせたいから
「テスト100点取ったら、好きなオモチャを買ってあげる」と言うのはもうやめよう。

子どもがテストで何点を取ったとしてもまず褒めてあげるのだ。
そして次のテストで以前取った点数より1点でも高い点数を取れば、
子どもが以前欲しがっていたオモチャをちゃんと覚えておいて、
報奨として買って上げて、褒めてあげれば良い。

すると、子どもはちゃんと覚える。
「自分が頑張っていることを誰かが必ず見ていてくれる」と。
「頑張って得た徳は必ず返ってくる」と。
「頑張ることが楽しい」と。

















「徳」を教わった子どもは「自分の行動に必ず"徳"を得ること」を知る。
「商」を教わった子どもは「自分の行動と報酬の対価を比べる術」を知る。

どちらが正しいかは解からないが、
私は少なくとも「徳」の考え方を排除した生き方はして欲しくない。
だからこうして、記事を書いているのである。
by mikenekohanten | 2007-03-28 21:43 | 雑談