【はゆのトンデモ地球論】その30

にゃぷらいず はゆです♪



はゆのトンデモ地球論、第30回目です。
でも、読まれる前には注意があります。
はゆのトンでも地球論は第1回目から順番にお読みください(`・ω・´)

 →【はゆのトンデモ地球論】
















では、【はゆのトンデモ地球論】の第30回目に行きましょう♪
今回のテーマは「ルールとは? その7」です。

















さて、今回は臨機応変case by caseの意味から、
その言葉の使い方の説明をしていこう。





まずは臨機応変である。
一般的には、「その場に応じた適切な対応」と言う意味で使われるだろう。
実際に辞書などには次のようにある。
 その時々の場面や状況の変化に応じて、適切な処置を施すこと

もちろん、この意味は間違いでは無い。
しかし、この意味だけでは
本来の臨機応変から間違った使い方をしてしまう恐れがある。
その間違った使い方をしてはいけないのだ。
そのために、臨機応変の語源から説明していこう。






この臨機応変の語源は次のことからきている。

 南北朝時代の梁王朝に蕭明と言う武将が居た。
 この男の軍は、ある時敵軍を優位に取り囲む事に成功した。
 そのとき、部下の多くがどう攻め入ればよいか、色々と知恵を出し合ったのだが、
 蕭明は「私は己で機に挑みその変化に応じて相手を制する」として
 部下たちの申し出を受け付けなかったと言う。

これは南史に出てくる一齣だ。
このときの蕭明の言葉が臨機応変の由来になる。
機に臨み、変化に応じると言う意味だ。

だが、この駒だけ見れば、何のことはない、
今で言うところの"ワンマン社長"と変わらないだろう?
「私が決めるんだ、お前たちは言うとおりに動け」と言う事だ。



もちろんこの話にはもう少し裏がある。



当時、梁王朝は内戦なども多くあり、混乱の時代だった中で、
蕭明は梁王に非常に信頼されていた部下の一人だった。
そのため、多くの決定権を任されていたという。
つまり、蕭明は梁王からその責任を任されていた為、
己で決定する権限を持っていたわけだ。

それが本来の臨機応変の意味である。





つまり、本来の臨機応変の意味は次のようになる。
 与えられた権限の中で任された仕事を自分の立場から
 その時々の場面や状況の変化に応じて、適切な処置を施すこと





こう考えると臨機応変と言う言葉はそう簡単には使えない。

例えば上司が部下に仕事を任せるとき、
この仕事、臨機応変に頼むよ」と言ったとする。
これは即ち、
この仕事の権限は全て君に任せる。君の自由にやりなさい」と言う事だ。

仕事を任された部下は自由に行なう許可を得たわけだから、
その状況に応じて機に臨み、変化に応じればよい。
それが良いように変化すれば、その部下の利益であり、上司の利益になる。
それが悪いように変化すれば、その部下の責任であり、
その部下に権限を与えた上司の責任にもなる。

となると上司は簡単には臨機応変なんて言葉は使えないだろう?
本当に信頼できる部下にしか、
本当の意味での臨機応変な仕事を託す事が出来ないハズだ。

よく企業などでは誰彼かまわずに
「そこは臨機応変にやっちゃって」なんて軽く言う者も居る訳だが、
その人は余程全ての人を信頼しているのか、
はたまた、臨機応変の本来の意味を知らないだけか。
そしてそう言うふうに誰彼構わずに臨機応変と言う言葉を使う者ほど、
"臨機応変に対応して失敗した部下"の責任に対して、
「君が勝手にやった事だから君が責任を持て」と言って責任逃れするものだ。





また、銀行などの受付で稀に目にする光景だが、
受付相手にお客が「そんな事も臨機応変に対応できないのか」を怒っている事がある。
こういった光景を見ても「不思議な光景だな」と私はいつも思ってしまうのだ。

先ほども言ったとおり、
臨機応変とは
与えられた権限の中で適切な処理を行なう」と言う意味だ。
ここでは、受付は受付の仕事を行なっている。
その受付が、会社や上司からどの程度まで権限を与えられているのかわからないが、
少なくとも受付としての仕事は行なっているはずである。
それをお客が"受付の権限の枠を超える事"を切り出し対応出来ないからといって、
お客が受付に対し「臨機応変に対応しろ」と指示する権限は無い。
客の目から見て「臨機応変に対応できていない」と思うのは勝手だが、
それを受付に向かって「臨機応変に対応しろ」というのは間違いなのだ。
逆に風体の悪い男が「責任者を出せ」と声を荒げる事も稀に見られるが、
むしろ道理としてはこちらの方が正しいのである。

同じお客の立場から言わせてもらえれば、
受付の対応が悪いのであれば、受付の対応の悪い部分を指摘すればいい。
しかし、受付の権限の域を超える内容であれば
受付では無く責任者に話を通すべきだ。
それでも気に食わなければ今後その企業を利用しなければ良い。
商売でも何にでも言えることだが、世界は需要と供給があって成り立つ訳だからだ。



このように考えると
臨機応変と言う言葉の意味自体を取り違えて使っている事が良く解かる。
そして、その使われ方は
身勝手な自分の行動を正当化するためだけに使われているのだ。


 特別天然記念物が怪我をしているのを発見し、
 それを善意で保護センターに運んだ場合、文化財保護法違反になる。
 また、交通事故などに合い道路の中央などで死滅している特別天然記念物を
 善意で道路脇などに移動した場合は森林法違反になる。

・・・と決まっているにも関わらず、自分の身勝手な考え
これは臨機応変に対応したんだと言う訳だ。

 こんなことが起こるから、新しくフィールドに出る者にはこういった内容は教えない。

などと言う訳だ。

















続いてはcase by caseの意味だ。

caseとは日本では一般的に"事例"と言う意味で使われる。
つまり、case by caseとは事例毎に考えようと言う意味だ。

語源は簡単だ。
caseとは別の意味に「入れ物」と言う意味がある。
大きな箱に小さなモノを入れれば、ぐらぐらして安定が悪い。
小さな箱に大きなモノを入れようとしても入らない。

つまり、入れ物に応じて入れるものを決めましょう、と言うのが
case by caseの本来の意味である事が解かるはずだ。



恐らく臨機応変と違い、
case by caseの意味は多くの人が正しい意味を認識しているはずである。
しかし、case by caseが正しい使われ方をする事は少ない。
一体どういうことであるのか?



それは"事例"が既に決まっているにも関わらず
身勝手な考え方で無視する事である。

 特別天然記念物が怪我をしているのを発見し、
 それを善意で保護センターに運んだ場合、文化財保護法違反になる。
 また、交通事故などに合い道路の中央などで死滅している特別天然記念物を
 善意で道路脇などに移動した場合は森林法違反になる。

と言うふうに事例として定められているのだ。

通常case by caseは「事例毎に判断する」である事は先に説明している。
つまり、本当に特別天然記念物が怪我をしていて
その生き物を保護センターに運んだら文化財保護法違反になるのであれば、
既に事例は決定してると言う事だ。
「事例」が決定しているにも関わらずそれを無視する事に問題がある。
case by caseで対応すると言うことは
事例通りに動く意味を理解しなければならない。


自分の身勝手な考え方だけで法律を破り、
その向上を臨機応変だのcase by caseなど
自分の都合の良い解釈の言葉で利用しているのである。

















こう言うルールの話をするときは
"スポーツのルール"に置き換えると解かり易いだろう。

例えば野球に置き換えるなら、
バッターボックスに立った選手が、
ボールを打った後に三塁ベースに向かって走り出す。
野球では一塁ベースに走るのがルールだ。

だが、その三塁に走った選手は言う訳だ。

 私は反時計回りに走るよりも、時計回りに走った方が走りやすい。
 これは臨機応変であり、case by caseである。





仮にこれがプロ野球だとしよう。
果たしてこの主張が認められるだろうか?

もちろん、選手の意向が多く上がれば
ルールの改変が行なわれ、認められる可能性もあるかも知れないが、
その時、三塁ベースに走った選手は間違いなく「アウト」にされるだろう。
プロ野球ではルールがあり罰則があるわけだ。

ルールが改変されるのであれば、
日本に置いては日本野球機構がルールの改変が適切化を判断し、
それに準じてルールが新しく改変される。
そう言った順を追って、プロ野球に関わる全域の者に
ルールを周知して初めてルールとなる。

しかし、ルールが改変されていないのにもかかわらず、
三塁ベースに走った選手は身勝手に他ならない。
そのたった一人の選手の所為で、多くの選手が、その試合を見に来ている観客が、
多くのものが迷惑を被るのだ。





では、これが草野球であれば?
草野球であればその罰則が一段回緩くなる事は確かだ。
もちろん、本人の身勝手には他ならないだろうが。
また草野球のレベルであれば、そう言ったルールの改変も容易に行なわれる。
ローカルルール(その地域だけの特別なルール)と言う位置づけも可能だ。
それはどうしてか?

臨機応変の本来の意味の説明をした時に語った事だが、
与えられた権限の中で適切な処理を行なう」と言う事であると言える。

そして前の【トンデモ地球論】28で語った事にも通じる。

人間の世界におけるルールの話だ。

 レベルA:拘束力なし。周知している訳ではないが浸透しているルール。
 レベルB:拘束力なし。だが代表となる者が、周りに守るように周知しているルール。
 レベルC:拘束力として罰則を設け、守るように周知しているルール。


これに上の野球の話を当てはめるなら、
プロ野球はレベルCに位置し、草野球はレベルC~Aの間に位置する事が解かる。


問題はそのルールを何故守らないといけないのか。
どういった意味合いで守る必要があるのか。
法とはなんなのか?

人が"集団"で生きるための知恵が"ルール"にはあると言う事だ。

















こう言う話をすると、
大概、反対意見を持っている者からは
じゃぁ法律が間違っている場合はどうするのだ」なんて馬鹿げた事を言われる。



今の日本は民主主義国家であると言えるだろう?
つまり法律って言う者は本来、民主主義に則って形成されなければならない。
つまりそのものが共有の財産であると言う事だ。

それに逆らった法律であれば、訴えればよいだけのことだ。
その法律が本当に間違っているのであれば、訴え変えていけば良い。
そのために何をしなければならないかは、大人なら解かるだろう?

それでも国は良くならないじゃないか、と訴えるなら
日本を離れて理想の国に国籍を移してそこに住めば良い。

まぁ、これは極論だが、
じゃぁ法律が間違っている場合はどうするのだ」なんて
馬鹿げた発言自体が極論な訳だ。

















日本語に限らずだが、言語と言うものは時代との移り変わりによって変化する。
つまり、今現在多くの人によって使われる言葉も進化してきた結果である。
そう考えると、本来の意味とは違う間違った使われ方も、
日本語という文化圏に置いての進化だと言うことが出来る。

その考え方自体に異論はない。
むしろ私は、そう言った考え方を強く持っている方だ。

だが、自分の身勝手な行動を正当化するために、
都合の良い言葉を適当に使っしまう風潮が許せないだけなのだ。
身勝手な行動を取っても、case by caseだの、臨機応変だの言えば
一つの区切りとして論が完結してしまう為だ。

「この原子力発電所は安全です」と言い放ち、
いざ、地震などで異常が見られボロが出てくると
「原子炉のある建物は火災にならないように作られていますが、
周辺の建物は一般と同じ作りで火災や地震にも弱いのです」
なんて事を他人事のように言っている人間とまったく同じ事をやって居る訳だ。



それこそ、「何故それが悪いのか」「何故その行動を取らなければいけないのか」
そう言った内容を教える立場にある者ほど、
決してそう言った行動を取ってはいけないのである。

















さて、では次回は特別天然記念物に関する法律について語ろうと思う。

 特別天然記念物が怪我をしているのを発見し、
 それを善意で保護センターに運んだ場合、文化財保護法違反になる。
 また、交通事故などに合い道路の中央などで死滅している特別天然記念物を
 善意で道路脇などに移動した場合は森林法違反になる。

・・・と言う話をもっともらしく言っている人が居る訳だが、
この行為が本当に違法なのか、そして罰せられるのか。
考えていきたいと思う。
by mikenekohanten | 2007-07-19 17:46 | 雑談