ミケが亡くなりました

3月20日 雨




今朝、ミケが亡くなりました。
3月20日(木) 春分の日、午前1時50分頃。
享年10歳です。
死因は肝臓疾患による心不全。



約1年前にシロがなくなった時にも記載いたしましたが、
私は今日一日を忘れないために、ここに記そうと思います。

















ミケは元々肝臓が悪いと解かっていました。
原因は食べすぎだったりします。
シロが居た頃は、シロの御飯まで食べちゃうぐらいの大食漢!
シロが少食だった事もあってか、
シロが食べ残した御飯をしっかりと残さず食べちゃっていたんです。

一応、食べる量を調整はしていたのですが・・・
定期検査で肝機能が弱ってきている事を指摘されていたのです。










その後、昨年の2007年6月9日にシロが亡くなりました。
恐らくは、子供の頃から一緒に暮らしてきたシロが家の中からいなくなった事、
この事がミケに大きな感情環境をもたらしたのだと思います。



昨年、シロが亡くなった時にミケの行動の変化を記事にした事がありました。
普段、私の部屋に寄り付かなかったミケが、
シロがお骨で帰ってきた日には私の部屋までやってきて、
シロがいつも寝ていた特等席に越を下ろして眠りに付きました。

私を励ましてくれている・・・そのようにも感じましたが、
やっぱり、シロを探していたのだと思います。
シロの姿が見えなくなり、シロのかおりが残る場所を求めていたのかも・・・。

シロの死は、ミケに大きなストレスを与えたのかもしれません。





また、ミケのストレスは別に大きなものがありました。
それは姪っ子、甥っ子です。
ミケさんが普段寝ていた寝床は両親の部屋でした。
ところが、姪っ子たちが遊びに来るとドタドタと暴れるものですから、
ミケさんはいつも気が気でない様子でした。
姪っ子たちがやってくると、そそくさと私の部屋へ逃げ込んできます。

また、姪っ子の1人は喘息を持っていて、動物の毛が天敵でした。
そのため、姪っ子が来たときは無碍に部屋から追い出されたりもしていたのです。

私も何度か、状況を打開しようと
ミケの寝床を私の部屋に変えてみたり等 いろいろチャレンジしてみたのですが、
どうも両親の部屋の居場所が良いらしく、
姪っ子たちが遊びに来る両親の部屋に帰ってしまいます。

10年間も自分の部屋として使ってきた場所。
そう簡単には変更させてくれませんでした・・・。



元々肝臓が悪かった事もあり、
その上でシロの死や環境の変化・・・
ミケのストレスが大きくなってしまったのかもしれません。




そして、ミケの体調の変化が目に見えて悪化した・・・
そのように解かるようになったのは1ヶ月ほど前でした。










急にミケの食欲がなくなったのです。
御飯を上げても食べない日がちらちら。
最初は「この缶詰に飽きたかな?」なんて思ったりもしたのですが、
お水にも口をつけない日もあり、何かおかしいと思い、
体調を崩していると判断して、
2月20日に犬猫病院に連れて行ったのです・・・。





犬猫病院では採血などの検査を行なっていただきました。
結果は「肝機能が著しく低下し、重症である」との事でした。
脱水症状も出ていて、通院を要するとの診断。

その日は脱水症状と食欲不振対策の点滴。
また、食欲増進剤も注射。
それに加えて、心臓の働きも弱っているとの事で強心剤も投与しました。

その日はそれで診察が終わりました。





その後、ほぼ毎日定期的に点滴を打ちに犬猫病院に通ったのです。
しかし、体調はあまり回復を見せませんでした。
点滴を打った後は一時的に脱水症状が回復し、
食欲増進剤を打った後はやはり一時的に食欲が戻るものの、
それも一時的な効果でしかありませんでした。

時には尿失禁なども行ないました。



















病院で獣医さんから重症だと告知され、29日目・・・
1ヶ月が立とうとした3月19日、ミケの容態が悪化したのです。






3月19日。
私はいつものように仕事を終え、家に帰ってきました。
ミケの様子を見ると、
いつものように猫用のホットカーペットの上で丸くなっていました。
体を撫でてあげます。
少し元気がないようにも見えましたが、
同時に、いつもどおりのようにも見えました。

私は自室で夕食を終え一息ついていると、後でカタカタと音がしました。
ミケの足音です。
私の仕事部屋はフローリングの為、
ミケの爪が床に当たって歩いている音がするんです。

恐らくトイレか何かだろうと思っていましたが、
自分で歩いてトイレに行けているものですから、
意識もあるのだと判断していました。

その後、午後10時過ぎ。
私は、自室で展示会の準備をしていました。
3月29日に予定されている私の写真展の準備で、
A4サイズにプリントされた写真を1枚1枚額に入れていた頃です。

母が私の部屋にやってきて「ミケの様子がおかしい」と言いました。
私はすぐに作業を中断し、ミケの様子を見に行きました。

呼吸は確かに凄く早かった。
母の話ではミケの目が虚ろな様子だったそうだけど、
私が見に行った時は、目はしっかりと私を捉えていた。
背中を撫で、「ミケ」と呼ぶと尻尾を大きく振って返事をした。
背中を撫でるのをやめて、もう一度「ミケ」と呼ぶと、やはり尻尾で返事をした。
意識はある様子だった。

けれど、やはり呼吸が速いのと、母親の話があったため、
夜遅かったのだけど、通院していた犬猫病院に連れて行く事にしました。
家を出る前に犬猫病院に電話をしても一向に出る気配はありませんでしたが、
病院に着けば何か状況が変わるかもしれないと、
私は母親と共に、ミケを車に載せて病院に向かいました。



酷い雨。

車を走らせ犬猫病院に付くと、案の定 電気が消えていました。
病院の前の駐車場では、車を止めると自動的に電気が付き、
駐車場を照らす仕組みになっています。
すぐに動物病院の入り口にある、時間外インターホンを鳴らしたのですが、
誰も出てくる気配がありません。
数分、病院の前で何度かインターホンを鳴らして待ったのですが、
やはり変化はありませんでした。

母親と話し合い、一度家に帰ることにしました。

ミケは呼吸が速く辛そうにしていたのですが、意識はありました。
そこで一度家に帰って様子を見て、早朝改めて
病院が開く前に電話で開けてもらい診察してもらう事にしたのです。





その後、家に付いてミケさんを電気カーペットの上に寝かせて上げます。
何度か体を捻り、自分が一番落ち着くような体制で体を丸めました。
私はその横に寝て、ミケの背中を撫でて様子を伺っていました。

















深夜0時を15分ほど過ぎた頃でしょうか。
私は少しウトウトとしていたのですが、ふとミケの事が目に入りました。

すると、呼吸がとても速い事に気づきました。
10時の時も呼吸が速い印象がありましたが、
そのときよりも更に早く、心臓を動かしていたのです。

私が背中を撫で、「ミケ」と声をかけても反応しません。
尻尾を握ると、アンモニアの匂いがしました。
ミケが尿失禁したようです。
尻尾は力なく垂れ下がり、まるで反応がありません。

顔は向こう側に向けていたので確認できませんでしたから、
ミケさんの顔を覗こうとして・・・その様態の悪化をはっきりと自覚しました。

ミケの目の焦点が合っていないのです。
普通、顔の前に手をやれば何らかの反応を示しますが、
この時のミケにはその反応がありませんでした。

頭を撫でようとしても目は開いたままで、まるで何も見えていないようでした。
口からはヨダレをたらしています。



私は同じ部屋で既に就寝していた母親をたたき起こすと、
ミケの容態の悪化を伝え、もう一度病院に連れて行く事にしました。

家の電話を手に取り、
通院していた犬猫病院に電話をかけましたが、やはり誰も出ません。
夜の10時に誰も出ないのですから、深夜0時には誰も出るはずが無いでしょう。

黄色いタウンページを取り出し、
載っている病院を片っ端から電話をかけていきますが、
どこの病院も電話を取ってくれません。
時間外です・・・翌朝の診察時間は・・・
録音された声ばかりが電話の向こうで流れます。

タウンページの香川県西讃地区に記載されてる
全ての動物病院に電話をしましたがダメでした・・・。





母親がふと、通院している犬猫病院の裏に豪邸があり、
その豪邸がどうも隣接して立っているように見えたから、
あそこが犬猫病院の獣医の先生の家なんじゃないかな、と言い、
私と母親はもう一度、いつも通院していた犬猫病院へ車を走らせました。





雨は先ほどより更に強くなっています。

車の中でミケの呼吸はどんどん速くなり、
口からヨダレか泡か解からないようなものを流し始めした。





やがて犬猫病院にたどり着くと、私がミケを抱き、
母親が犬猫病院の裏の豪邸のインターホンを鳴らしました。

もしかしたら、病院とは関係ない人のお宅かも知れず、
夜分申し訳ないと思いながらも、わらをも掴む思いだったのです。

出てきたのはいつのもの病院の先生。
やはり病院の先生のご自宅だったようです。
先生に話をすると、「たった今しがた、会議から帰ってきた」と仰っていました。





すぐに先生に診てもらうと、一番に発した言葉は「難しいですね」でした。
この「難しい」は「助からない」と言う言葉と等しく私の胸を打ちました。

すぐに先生は点滴を打ち、強心剤を打ちました。
「体温が非常に下がってきている」と言い、
ペットボトルに温水を入れてミケさんに抱かせます。
体にはタオルをかぶせました。
呼吸困難に陥っているミケの口元に酸素吸入器を設置しました。

先生は聴診器を当てながら、
「心臓は頑張っていますが、これは難しいです」と繰り返します。
ミケが非常に呼吸が速い状態が続き、やがて大きく深呼吸をします。
すると、先生が「この状態になると難しいんです」と続けた。
また先生は、聴診器を私に手渡し心臓の音を聞かせようともしました。
「心臓は頑張っていますが、徐々に心音が弱くなっています」と言うのです。
「体がどんどんと冷えていますね」と言い、
後ろ足を触ると本当に冷たくなっていました。



解かっているんです。
先生は「助からない」と言いたいのです。
しかし、ストレートには言えないから、
死に至る一つ一つの状況を教えてくださって、
私にその準備をさせて下さっていたのでしょう。





私はミケさんの前足を握って触ったままでした。
母親は「ミミちゃん、ミーちゃん」と名前を呼んでいました。





尻尾は完全に動かず、ミケは苦しそうに呼吸をし、
口の中には大量のゲル状のヨダレが流れて居ました。
それを先生がきれいにふき取ってくださいます。

やがて、小さな呼吸の回数が減り、大きな深呼吸の回数が増えたかと思うと、
そのまま体を動かさなくなりました。

先生が言います。
「まだ心臓は頑張っていますが、このまま動かなくなります」
うんとも寸ともいわなくなった体。
先生が「呼吸が止まりましたので、酸素吸入器を外しますね」とそれを片付けた。
そして、また聴診器をミケに当てて心音を聞いています。





大きな雷が一発響き渡りました。

1時50分ごろでしょうか。
先ほどまで雨が降っていたのは知っていましたが、
更に天候は荒れているようでした。

そして、ややしばらくして先生が「心肺が停止しました」と言いました。

















私はミケを抱き上げました。
母親がお会計を済ませた後、3人で家に帰りました。

家に付くと、私は倉庫から大きめの段ボール箱を取り出し、
ミケをその中に寝かせてあげました。

たぷたぷとお腹が揺れています。
先ほど病院で打った点滴が皮下脂肪の中にたまっているのでしょうが・・・
とても死んだようには見えませんでした・・・。

母親が体を撫で、目を閉じさせようとして、
「ダメ、目を閉じてくれない」と言っていました。
私も横でミケの体を手で撫でてあげました。

不思議と、病院では凄く辛そうにしていたミケさんですが、
家に帰ってきた後をマジマジと見ると安らかな顔をしているんです。
少し眠たそうに目を開けている姿に見えました。
なんだか、普段私が家に帰ってきたときのいつものミケさんのようでした。
シロの時の事もあってか、安らかな顔に少し救われた気がしました。





ミケの寝床を作ってあげた後、母親は「辛かっただろうね」と言っていました。
私は「良く頑張ったよ」と言っていました。

やがて火葬の話になり、シロさんの時と同じ業者さんにお願いする事にしました。
机の上にタウンページがあった為、
なんとなくページを捲ってそのときの業者を探してみると、
24時間電話受付対応とあったので、すぐに電話をかけてみる事に。

流石に夜間火葬は出来ないとの事でしたので、
翌日(3月21日)の午前中に火葬をお願いする事としたのです。





さて寝ようか。
そう思ったのは深夜3時を大きく過ぎていたでしょうか。
外はまだ雨の音が聞こえてきます。

ミケはコタツのある部屋の隅に運ばれ、
私はミケさんの隣でコタツに入って寝る事にしました。
by mikenekohanten | 2008-03-20 13:18