【間伐作業と落ち枝拾い】
12月9日 雨
にゃんぱち はゆです♪
小雨が降りしきる中。
自然生態園ではボランティアさんたちによる
北の谷の間伐作業が行われました。
北の谷は昭和30年ごろに、その地で田んぼを行っていた跡が残っていて、
放棄された田んぼから多くの山野草を見ることが出来る土地となっています。
しかし、この北の谷の湿地部にハンノキが生え、田に影を作り、栄養を取り、
他の山野草が少しずつ数を減らし始めました。
昔に一度、そのハンノキを伐採したそうです。
そして、光が入るようになった北の谷の湿地部には
再び多くの山野草が見られるようになったのです。
・・・しかし・・・
その姿は数年間しか保つことができませんでした。
実は、その後に生えてきた"ひこばえ"を"もやわけ"しなかったために
根元から茎別れしたハンノキは前にもまして大きな影を作るようになり、
前に伐採したときよりも影は大きくなったのです。
*ひこばえ(木を切り倒した後に生えてくる新しい芽)
*もやわけ(たくさん新しい芽が生えてきたものから成長の良いものを選び残す作業)
昔の人が生活していた里山での環境は
木を切って使って、新しく生えてきた芽をうまく育てて、
また切って使ってを繰り返して資源にし生活してきました。
つまり、昔の里山管理では「人が生活するために手を入れ続ける環境」があったのです。
生きていくために行った当然の事でした。
しかし、現在において同じ場所にある自然生態園では
当時の環境を再現しているものの、そこに「生活している人」はいません。
ですから、油断をすれば、木々は生え放題になりすぐに成長してしまうのです。
むしろ、一度伐採が行われ光が入ることにより笹などの生長や広がりを助長し、
そこから手をつけなくなる事で、
湿地の藪化の助長をしてしまうことに繋がるとも考えられます。
そこで、今回は再び同じ過ちを行わないように
北の谷の茂ったハンノキの伐採作業が行われたのです。
上の2枚の写真はほぼ同じ場所を写しています。
ハンノキがまったくなくなっちゃいました。
これは間伐と言うよりは大伐採(主伐?)かもしれませんね。
光が多く入るようになり、また次の年には多くの花を咲かせてくれるはずです(≧▽≦)
後は、笹が広がらないように注意して昔同様に芝刈りを行う
(昔の人はまめに草を刈っていた)事を心がけなければいけません。
昔の環境を再現すると言うことは
出来る限り昔行っていたことを再現すると言うことなのです。
さて、ところ変わって次は南の谷に移動します。
間伐作業が終了したあとに予定されていた
ボランティアさんたちの活動は「落ち枝拾い」です。
落ち枝を拾うといえば、昔の風景を容易に想像できますよね♪
昔の人は生活するために貴重な資源として落ち枝を拾っていました。
もちろん、火を使うためにです。
落ち枝を拾うのは主に子供の仕事だったようですね。
山に遊びに出かけて、帰ってくるときに拾って帰る。
手にはいっぱいの落ち枝です。
この昔の人が行っていた行為もまた
昔の里山管理において「人が生活するために手を入れ続ける環境」があったのです。
もちろん、生きていくために行った当然の事です。
この作業もやはり里山の環境を育んでいました。
仮に木々の折れた枝が放置されている自然を想像しましょう。
地面に落ちた木々はそこに放置され、
やがてその部分に多くの落ち葉が蓄積します。
落ち枝は落ち葉の蓄積しやすい環境を生むのですね。
落ち葉が多く蓄積すれば
腐葉土になりそこに多くの生命が生まれることにも繋がるのですが・・・
実は、昔の里山の環境を好んでいた山野草の中には
そう言った環境を嫌うものが意外と多くいます。
(もちろんその限りではありませんが)
落ち葉が蓄積すると言うことは地面に日の光が入りにくくなり、
草たちの種から新しい芽が出にくくなることが解かっています。
また、落ち葉が蓄積することで起こる地表の湿度や温度の変化が
多くの影響を与えてしまいます。
結果、種から生える1年草は数を減らしていき、
落ち葉の多い場所には多年草が辛うじて生えるような環境に変わるのです。
そこで昔の人が行っていた落ち枝拾いに繋がるのです。
落ち葉が蓄積しにくい環境を作ることで、
1年草が結果的に守られていたのですね。
もちろん、人の手で管理できる場所は限られていますから、
落ち葉が多く蓄積する場所もあるでしょう。
そう言った場所では逆に、腐葉した土を好む野草が生え、
里山の環境はより多くの生き物たちが生息できる空間となっていたのです。
人の作業が"完璧ではないからこそ"多くの生命が生息できていた。
今の時代を考えるととても皮肉に聞こえますね。
さて、落ち枝拾いやハンノキの伐採で集まった木の枝などは
リヤカー車にして数台分。
もちろん、これもまた貴重な資源です。
まず、大きく昆虫などが利用しそうな木はそのまま山の場所に残します。
彼らが育つ寝床になる場所まで取ってしまってはいけません。
落ち枝のうち腐食の激しいものは落ち葉と一緒に腐葉土に。
利用価値の難しい木々はリサイクルによって公園の花壇用のチップに。
ハンノキなどの伐採木は適度な大きさに切られ乾燥して薪に。
このようにして自然生態園の環境は
ボランティアさんたちの手を借りながら守られていっているのです。
にゃんぱち はゆです♪
小雨が降りしきる中。
自然生態園ではボランティアさんたちによる
北の谷の間伐作業が行われました。
北の谷は昭和30年ごろに、その地で田んぼを行っていた跡が残っていて、
放棄された田んぼから多くの山野草を見ることが出来る土地となっています。
しかし、この北の谷の湿地部にハンノキが生え、田に影を作り、栄養を取り、
他の山野草が少しずつ数を減らし始めました。
昔に一度、そのハンノキを伐採したそうです。
そして、光が入るようになった北の谷の湿地部には
再び多くの山野草が見られるようになったのです。
・・・しかし・・・
その姿は数年間しか保つことができませんでした。
実は、その後に生えてきた"ひこばえ"を"もやわけ"しなかったために
根元から茎別れしたハンノキは前にもまして大きな影を作るようになり、
前に伐採したときよりも影は大きくなったのです。
*ひこばえ(木を切り倒した後に生えてくる新しい芽)
*もやわけ(たくさん新しい芽が生えてきたものから成長の良いものを選び残す作業)
昔の人が生活していた里山での環境は
木を切って使って、新しく生えてきた芽をうまく育てて、
また切って使ってを繰り返して資源にし生活してきました。
つまり、昔の里山管理では「人が生活するために手を入れ続ける環境」があったのです。
生きていくために行った当然の事でした。
しかし、現在において同じ場所にある自然生態園では
当時の環境を再現しているものの、そこに「生活している人」はいません。
ですから、油断をすれば、木々は生え放題になりすぐに成長してしまうのです。
むしろ、一度伐採が行われ光が入ることにより笹などの生長や広がりを助長し、
そこから手をつけなくなる事で、
湿地の藪化の助長をしてしまうことに繋がるとも考えられます。
そこで、今回は再び同じ過ちを行わないように
北の谷の茂ったハンノキの伐採作業が行われたのです。
上の2枚の写真はほぼ同じ場所を写しています。
ハンノキがまったくなくなっちゃいました。
これは間伐と言うよりは大伐採(主伐?)かもしれませんね。
光が多く入るようになり、また次の年には多くの花を咲かせてくれるはずです(≧▽≦)
後は、笹が広がらないように注意して昔同様に芝刈りを行う
(昔の人はまめに草を刈っていた)事を心がけなければいけません。
昔の環境を再現すると言うことは
出来る限り昔行っていたことを再現すると言うことなのです。
さて、ところ変わって次は南の谷に移動します。
間伐作業が終了したあとに予定されていた
ボランティアさんたちの活動は「落ち枝拾い」です。
落ち枝を拾うといえば、昔の風景を容易に想像できますよね♪
昔の人は生活するために貴重な資源として落ち枝を拾っていました。
もちろん、火を使うためにです。
落ち枝を拾うのは主に子供の仕事だったようですね。
山に遊びに出かけて、帰ってくるときに拾って帰る。
手にはいっぱいの落ち枝です。
この昔の人が行っていた行為もまた
昔の里山管理において「人が生活するために手を入れ続ける環境」があったのです。
もちろん、生きていくために行った当然の事です。
この作業もやはり里山の環境を育んでいました。
仮に木々の折れた枝が放置されている自然を想像しましょう。
地面に落ちた木々はそこに放置され、
やがてその部分に多くの落ち葉が蓄積します。
落ち枝は落ち葉の蓄積しやすい環境を生むのですね。
落ち葉が多く蓄積すれば
腐葉土になりそこに多くの生命が生まれることにも繋がるのですが・・・
実は、昔の里山の環境を好んでいた山野草の中には
そう言った環境を嫌うものが意外と多くいます。
(もちろんその限りではありませんが)
落ち葉が蓄積すると言うことは地面に日の光が入りにくくなり、
草たちの種から新しい芽が出にくくなることが解かっています。
また、落ち葉が蓄積することで起こる地表の湿度や温度の変化が
多くの影響を与えてしまいます。
結果、種から生える1年草は数を減らしていき、
落ち葉の多い場所には多年草が辛うじて生えるような環境に変わるのです。
そこで昔の人が行っていた落ち枝拾いに繋がるのです。
落ち葉が蓄積しにくい環境を作ることで、
1年草が結果的に守られていたのですね。
もちろん、人の手で管理できる場所は限られていますから、
落ち葉が多く蓄積する場所もあるでしょう。
そう言った場所では逆に、腐葉した土を好む野草が生え、
里山の環境はより多くの生き物たちが生息できる空間となっていたのです。
人の作業が"完璧ではないからこそ"多くの生命が生息できていた。
今の時代を考えるととても皮肉に聞こえますね。
さて、落ち枝拾いやハンノキの伐採で集まった木の枝などは
リヤカー車にして数台分。
もちろん、これもまた貴重な資源です。
まず、大きく昆虫などが利用しそうな木はそのまま山の場所に残します。
彼らが育つ寝床になる場所まで取ってしまってはいけません。
落ち枝のうち腐食の激しいものは落ち葉と一緒に腐葉土に。
利用価値の難しい木々はリサイクルによって公園の花壇用のチップに。
ハンノキなどの伐採木は適度な大きさに切られ乾燥して薪に。
このようにして自然生態園の環境は
ボランティアさんたちの手を借りながら守られていっているのです。
by mikenekohanten
| 2006-12-09 20:56
| 雑談