【はゆのトンデモ地球論】番外編2

にゃろさん はゆです♪

これは はゆのトンデモ地球論、番外編です。
ですが、後日トンデモ地球論本編に加えられる可能性があります。

 →【はゆのトンデモ地球論】
















7月7日と言えば七夕であろう。
誰しもがその祭りの経験があるのではないだろうか。
かく言う私も幼い頃に短冊を書いた経験がある。

今回は少し「日本人と祭りの関係」を七夕を通して語ろうと思う。

















突然だが、
七夕祭りが終わると私が居た子供会では
その短冊が付いた笹は細かく刻んで火を焚いて燃やしていた。
神に願いが届くように「煙」にした訳だ。
だが、これは地域や年代によって違うそうだ。



実は私が幼い頃、祖母から聞いた記憶のある話がある。
ただし、随分昔の話しな為、確証はない。



昔の七夕では七夕祭りが終わった後、
その竹の笹の部分を全て落とし、笹と竹に別けたのだと言う。
そして、笹の部分は願い事が叶うように海に流したと言うのだ。
笹を海や川に流す風習は日本全国にも多く残っているそうだが、
問題はその後の竹である。
祖母の話ではその竹を「物干し竿」にしていたと言う。
理由は知らない。
幼かった私はさらりとその話を聞いただけだった。

だが、今思えば、七夕で利用した竹を物干し竿にするというのは
何か意味があるように思えて仕方ない。





元々、七夕は中国の古い催しが伝来して来たと言われているが、
それが奈良時代に宮中に入り、その後庶民の祭りになる。



それに加え、7月7日と言う日は日本では「盆初め」としてお盆の準備に入る日であった。
和暦で言えば、7月7日はお盆の前の時期になるためだ。
即ち、七夕は先祖の霊を祭る行事であったのだ。
墓を掃除するほか、台所周りや井戸の掃除など、水周りの掃除を行う風習もある。
お盆が来る前の前準備の区切りとして7月7日が定められていたのだろう。
織姫が機織りの仕事を行っていた事から、機を織り着物を神に供える風習もあると言う。

更に、7月7日は豊作を祝う日でもあった。
これは稲作の国である日本と言うことが解かる穂が多く実る事を祈る風習だ。
実は旧暦で7月7日は、今の暦で言えば立秋以降になる事が多い。
田んぼに関連した秋の行事といえば、通常「水抜き」と言う作業を行なう。
これは、稲が十分に育った頃、日本では梅雨が抜け、暑い夏が抜け、
やがて秋の頃を迎えるとき、田んぼから水を抜いて
稲の穂を一気に熟させると言う行為だ。
稲作には水が必要だと思われがちだが、
水を抜く時期には水を入れないということも必用になる。
そう言った願いを込めて、7月7日に豊作を祈ったとも言われている。
タナバタという語源も、種を撒いて豊作を祈る、
種播祭り(タナバタマツリ)が語源とする説もある。
これも、七夕の彦星を考えれば、彼が農業に従事している事が興味深い。



こうやって考えると、七夕とは非常に面白い。
中国から伝わってきた風習に
日本の昔からある風習や新たに加えられた風習が混ざり今に残る。

しかも、一般的に言われている
竹に短冊を飾る風習が日本に広がったのは江戸時代であると言われ、
それは中国から日本に伝わったのが奈良時代を考えると、
竹に短冊を吊るすという風習は、随分と近年に形になったと思えて仕方ない。



しかし、調べてみると七夕に限らず、日本の風習と言うものはこう言うものが多い。
即ち、外から入ってきた伝承や内容を上っ面だけ真似したものだ。
この七夕も元をたどれば日本独自のものでは無い。
上っ面で真似したものが時代と共に変化したに過ぎない。

最近ならヴァレンタインデーなんてそのものではないか。
本来恋人に贈り物をする行事だが、
日本ではその上っ面で真似て「女性が男性にチョコを送る」日に変化し、
それがすっかり浸透して"国民的行事"になってしまっている。
それどころかそのお返しをする「ホワイトデー」まで作ってしまった。

ヴァレンタインデーはチョコ会社の陰謀であるなんて言葉も聞いた事があったが、
とんでもない。
七夕の風習の広がり方を考えれば、
なるほど、日本人には元々そう言った風習があるものなのだ。





さて、七夕が終わり使命を終えた竹だが、
全国には川や海に流す風習が多く残るそうだ。
私の祖母もそれを言っていたように思うのだが、
これは近年されなくなった地域が多いと言う。

理由は簡単で「環境問題に対して」である。
流された笹竹がゴミになる為だ。

私が参加していた子供会では燃やす習慣であった。
これがその「環境問題」に対して燃やす風習になったのか、
元々燃やす風習だったのかは解からないが、
そう言った経緯があったとも言えそうだ。



更に近年では新暦で七夕を祈るため、梅雨が開けていない事が多く、
飾り付けに雨で湿って敗れてしまうような紙や和紙を使う事が出来ず、
プラスティックのようなものを使うところも少なく無いと言う。

そういえば坂出には「土曜デー」と呼ばれる商店街の祭りが昔あり、
商店街の天井から仙台の七夕の吹流しを模したものを下げていた。
時期は小学生が夏休みに入った頃だったが、
あれも今思えば「七夕祭」だったわけだ。
毎週土曜日に坂出の商店街に出店が並ぶ。
そしてあの吹流しを模したものはビニール製だったのだろうな。

プラスティックやビニールのような素材を使った七夕飾りは、
海に流す事も、燃やしてしまう事も出来ない訳だが、
これも「時代に応じて見せた変化」なのだろう。

恐らく、これから「環境問題」はもっとややこしくなって来るだろう。
そうなってくると、そうそうそう言った素材のものを使えくなってくる。
「七夕」が日本人が必用とする祭であり、
更にこれからも変化を続けていくのであれば、
飾りも、雨にぬれても壊れないが、
ちゃんとリサイクルの利く素材へと変化していくのだろう。

そう言った中で根付いたものが、人に求められるとき
何百年と変わらず、人の手によって伝えられていくのだろう。

中国から上っ面だけを真似て形作られた七夕が
仙台で独自の進化を遂げ、何百年も受け継がれてきたように。

















さて、私の祖母の話に戻ろう。
七夕で使われた竹は何故物干しになったのか?
その理由を私は知らないが、想像する事はいくらでも出来る。

七夕とは元来「晴れを祈る祭」だろう?
晴れを喜ぶものだ。
つまり、「洗濯物が良く乾くように」と言う願掛けがあるのだろうと
私は想像して少しにやけている。
by mikenekohanten | 2007-07-08 23:47 | 雑談