by mikenekohanten | 2009-01-27 23:59
4月2日 はれ







3月21日の午前中、ミケの火葬が行なわれました。
シロの時と同じ業者にお願いし、シロと同じように行なわれたのです。

遺骨となったミケは、シロのとき同様に
頭部がほぼ完全な形状で残っていました。

シロのときは骨壷にキレイに収まったのですが、
ミケは少し頭部が大きかったのか、骨壷に入りきりませんでした。






ミケの骨壷は私の部屋にある、シロの骨壷の隣に並んでいます。

シロの骨壷をどうするか一年前に考えたとき、
一年間私の部屋につれてきて、
一年後に納骨堂に収めると言う風に決めていたのですが、
問題はミケをどうするかと言う事になりました・・・。






母親とも話し合いました。
その結果、シロを納骨堂に入れてあげるときに、
ミケも一緒に納骨堂に入れてあげることにしました。

シロとミケはずっと仲良しでしたし、出来るだけ一緒に居させてあげたいです。
シロだけ先に納骨堂に入れるのではなく、
一緒に入れてあげたほうが良いと判断したのです。





6月9日、シロの命日。
納骨堂に収めに行ってきます。
by mikenekohanten | 2008-03-21 22:22
3月20日 雨




今朝、ミケが亡くなりました。
3月20日(木) 春分の日、午前1時50分頃。
享年10歳です。
死因は肝臓疾患による心不全。



約1年前にシロがなくなった時にも記載いたしましたが、
私は今日一日を忘れないために、ここに記そうと思います。

















ミケは元々肝臓が悪いと解かっていました。
原因は食べすぎだったりします。
シロが居た頃は、シロの御飯まで食べちゃうぐらいの大食漢!
シロが少食だった事もあってか、
シロが食べ残した御飯をしっかりと残さず食べちゃっていたんです。

一応、食べる量を調整はしていたのですが・・・
定期検査で肝機能が弱ってきている事を指摘されていたのです。










その後、昨年の2007年6月9日にシロが亡くなりました。
恐らくは、子供の頃から一緒に暮らしてきたシロが家の中からいなくなった事、
この事がミケに大きな感情環境をもたらしたのだと思います。



昨年、シロが亡くなった時にミケの行動の変化を記事にした事がありました。
普段、私の部屋に寄り付かなかったミケが、
シロがお骨で帰ってきた日には私の部屋までやってきて、
シロがいつも寝ていた特等席に越を下ろして眠りに付きました。

私を励ましてくれている・・・そのようにも感じましたが、
やっぱり、シロを探していたのだと思います。
シロの姿が見えなくなり、シロのかおりが残る場所を求めていたのかも・・・。

シロの死は、ミケに大きなストレスを与えたのかもしれません。





また、ミケのストレスは別に大きなものがありました。
それは姪っ子、甥っ子です。
ミケさんが普段寝ていた寝床は両親の部屋でした。
ところが、姪っ子たちが遊びに来るとドタドタと暴れるものですから、
ミケさんはいつも気が気でない様子でした。
姪っ子たちがやってくると、そそくさと私の部屋へ逃げ込んできます。

また、姪っ子の1人は喘息を持っていて、動物の毛が天敵でした。
そのため、姪っ子が来たときは無碍に部屋から追い出されたりもしていたのです。

私も何度か、状況を打開しようと
ミケの寝床を私の部屋に変えてみたり等 いろいろチャレンジしてみたのですが、
どうも両親の部屋の居場所が良いらしく、
姪っ子たちが遊びに来る両親の部屋に帰ってしまいます。

10年間も自分の部屋として使ってきた場所。
そう簡単には変更させてくれませんでした・・・。



元々肝臓が悪かった事もあり、
その上でシロの死や環境の変化・・・
ミケのストレスが大きくなってしまったのかもしれません。




そして、ミケの体調の変化が目に見えて悪化した・・・
そのように解かるようになったのは1ヶ月ほど前でした。










急にミケの食欲がなくなったのです。
御飯を上げても食べない日がちらちら。
最初は「この缶詰に飽きたかな?」なんて思ったりもしたのですが、
お水にも口をつけない日もあり、何かおかしいと思い、
体調を崩していると判断して、
2月20日に犬猫病院に連れて行ったのです・・・。





犬猫病院では採血などの検査を行なっていただきました。
結果は「肝機能が著しく低下し、重症である」との事でした。
脱水症状も出ていて、通院を要するとの診断。

その日は脱水症状と食欲不振対策の点滴。
また、食欲増進剤も注射。
それに加えて、心臓の働きも弱っているとの事で強心剤も投与しました。

その日はそれで診察が終わりました。





その後、ほぼ毎日定期的に点滴を打ちに犬猫病院に通ったのです。
しかし、体調はあまり回復を見せませんでした。
点滴を打った後は一時的に脱水症状が回復し、
食欲増進剤を打った後はやはり一時的に食欲が戻るものの、
それも一時的な効果でしかありませんでした。

時には尿失禁なども行ないました。



















病院で獣医さんから重症だと告知され、29日目・・・
1ヶ月が立とうとした3月19日、ミケの容態が悪化したのです。






3月19日。
私はいつものように仕事を終え、家に帰ってきました。
ミケの様子を見ると、
いつものように猫用のホットカーペットの上で丸くなっていました。
体を撫でてあげます。
少し元気がないようにも見えましたが、
同時に、いつもどおりのようにも見えました。

私は自室で夕食を終え一息ついていると、後でカタカタと音がしました。
ミケの足音です。
私の仕事部屋はフローリングの為、
ミケの爪が床に当たって歩いている音がするんです。

恐らくトイレか何かだろうと思っていましたが、
自分で歩いてトイレに行けているものですから、
意識もあるのだと判断していました。

その後、午後10時過ぎ。
私は、自室で展示会の準備をしていました。
3月29日に予定されている私の写真展の準備で、
A4サイズにプリントされた写真を1枚1枚額に入れていた頃です。

母が私の部屋にやってきて「ミケの様子がおかしい」と言いました。
私はすぐに作業を中断し、ミケの様子を見に行きました。

呼吸は確かに凄く早かった。
母の話ではミケの目が虚ろな様子だったそうだけど、
私が見に行った時は、目はしっかりと私を捉えていた。
背中を撫で、「ミケ」と呼ぶと尻尾を大きく振って返事をした。
背中を撫でるのをやめて、もう一度「ミケ」と呼ぶと、やはり尻尾で返事をした。
意識はある様子だった。

けれど、やはり呼吸が速いのと、母親の話があったため、
夜遅かったのだけど、通院していた犬猫病院に連れて行く事にしました。
家を出る前に犬猫病院に電話をしても一向に出る気配はありませんでしたが、
病院に着けば何か状況が変わるかもしれないと、
私は母親と共に、ミケを車に載せて病院に向かいました。



酷い雨。

車を走らせ犬猫病院に付くと、案の定 電気が消えていました。
病院の前の駐車場では、車を止めると自動的に電気が付き、
駐車場を照らす仕組みになっています。
すぐに動物病院の入り口にある、時間外インターホンを鳴らしたのですが、
誰も出てくる気配がありません。
数分、病院の前で何度かインターホンを鳴らして待ったのですが、
やはり変化はありませんでした。

母親と話し合い、一度家に帰ることにしました。

ミケは呼吸が速く辛そうにしていたのですが、意識はありました。
そこで一度家に帰って様子を見て、早朝改めて
病院が開く前に電話で開けてもらい診察してもらう事にしたのです。





その後、家に付いてミケさんを電気カーペットの上に寝かせて上げます。
何度か体を捻り、自分が一番落ち着くような体制で体を丸めました。
私はその横に寝て、ミケの背中を撫でて様子を伺っていました。

















深夜0時を15分ほど過ぎた頃でしょうか。
私は少しウトウトとしていたのですが、ふとミケの事が目に入りました。

すると、呼吸がとても速い事に気づきました。
10時の時も呼吸が速い印象がありましたが、
そのときよりも更に早く、心臓を動かしていたのです。

私が背中を撫で、「ミケ」と声をかけても反応しません。
尻尾を握ると、アンモニアの匂いがしました。
ミケが尿失禁したようです。
尻尾は力なく垂れ下がり、まるで反応がありません。

顔は向こう側に向けていたので確認できませんでしたから、
ミケさんの顔を覗こうとして・・・その様態の悪化をはっきりと自覚しました。

ミケの目の焦点が合っていないのです。
普通、顔の前に手をやれば何らかの反応を示しますが、
この時のミケにはその反応がありませんでした。

頭を撫でようとしても目は開いたままで、まるで何も見えていないようでした。
口からはヨダレをたらしています。



私は同じ部屋で既に就寝していた母親をたたき起こすと、
ミケの容態の悪化を伝え、もう一度病院に連れて行く事にしました。

家の電話を手に取り、
通院していた犬猫病院に電話をかけましたが、やはり誰も出ません。
夜の10時に誰も出ないのですから、深夜0時には誰も出るはずが無いでしょう。

黄色いタウンページを取り出し、
載っている病院を片っ端から電話をかけていきますが、
どこの病院も電話を取ってくれません。
時間外です・・・翌朝の診察時間は・・・
録音された声ばかりが電話の向こうで流れます。

タウンページの香川県西讃地区に記載されてる
全ての動物病院に電話をしましたがダメでした・・・。





母親がふと、通院している犬猫病院の裏に豪邸があり、
その豪邸がどうも隣接して立っているように見えたから、
あそこが犬猫病院の獣医の先生の家なんじゃないかな、と言い、
私と母親はもう一度、いつも通院していた犬猫病院へ車を走らせました。





雨は先ほどより更に強くなっています。

車の中でミケの呼吸はどんどん速くなり、
口からヨダレか泡か解からないようなものを流し始めした。





やがて犬猫病院にたどり着くと、私がミケを抱き、
母親が犬猫病院の裏の豪邸のインターホンを鳴らしました。

もしかしたら、病院とは関係ない人のお宅かも知れず、
夜分申し訳ないと思いながらも、わらをも掴む思いだったのです。

出てきたのはいつのもの病院の先生。
やはり病院の先生のご自宅だったようです。
先生に話をすると、「たった今しがた、会議から帰ってきた」と仰っていました。





すぐに先生に診てもらうと、一番に発した言葉は「難しいですね」でした。
この「難しい」は「助からない」と言う言葉と等しく私の胸を打ちました。

すぐに先生は点滴を打ち、強心剤を打ちました。
「体温が非常に下がってきている」と言い、
ペットボトルに温水を入れてミケさんに抱かせます。
体にはタオルをかぶせました。
呼吸困難に陥っているミケの口元に酸素吸入器を設置しました。

先生は聴診器を当てながら、
「心臓は頑張っていますが、これは難しいです」と繰り返します。
ミケが非常に呼吸が速い状態が続き、やがて大きく深呼吸をします。
すると、先生が「この状態になると難しいんです」と続けた。
また先生は、聴診器を私に手渡し心臓の音を聞かせようともしました。
「心臓は頑張っていますが、徐々に心音が弱くなっています」と言うのです。
「体がどんどんと冷えていますね」と言い、
後ろ足を触ると本当に冷たくなっていました。



解かっているんです。
先生は「助からない」と言いたいのです。
しかし、ストレートには言えないから、
死に至る一つ一つの状況を教えてくださって、
私にその準備をさせて下さっていたのでしょう。





私はミケさんの前足を握って触ったままでした。
母親は「ミミちゃん、ミーちゃん」と名前を呼んでいました。





尻尾は完全に動かず、ミケは苦しそうに呼吸をし、
口の中には大量のゲル状のヨダレが流れて居ました。
それを先生がきれいにふき取ってくださいます。

やがて、小さな呼吸の回数が減り、大きな深呼吸の回数が増えたかと思うと、
そのまま体を動かさなくなりました。

先生が言います。
「まだ心臓は頑張っていますが、このまま動かなくなります」
うんとも寸ともいわなくなった体。
先生が「呼吸が止まりましたので、酸素吸入器を外しますね」とそれを片付けた。
そして、また聴診器をミケに当てて心音を聞いています。





大きな雷が一発響き渡りました。

1時50分ごろでしょうか。
先ほどまで雨が降っていたのは知っていましたが、
更に天候は荒れているようでした。

そして、ややしばらくして先生が「心肺が停止しました」と言いました。

















私はミケを抱き上げました。
母親がお会計を済ませた後、3人で家に帰りました。

家に付くと、私は倉庫から大きめの段ボール箱を取り出し、
ミケをその中に寝かせてあげました。

たぷたぷとお腹が揺れています。
先ほど病院で打った点滴が皮下脂肪の中にたまっているのでしょうが・・・
とても死んだようには見えませんでした・・・。

母親が体を撫で、目を閉じさせようとして、
「ダメ、目を閉じてくれない」と言っていました。
私も横でミケの体を手で撫でてあげました。

不思議と、病院では凄く辛そうにしていたミケさんですが、
家に帰ってきた後をマジマジと見ると安らかな顔をしているんです。
少し眠たそうに目を開けている姿に見えました。
なんだか、普段私が家に帰ってきたときのいつものミケさんのようでした。
シロの時の事もあってか、安らかな顔に少し救われた気がしました。





ミケの寝床を作ってあげた後、母親は「辛かっただろうね」と言っていました。
私は「良く頑張ったよ」と言っていました。

やがて火葬の話になり、シロさんの時と同じ業者さんにお願いする事にしました。
机の上にタウンページがあった為、
なんとなくページを捲ってそのときの業者を探してみると、
24時間電話受付対応とあったので、すぐに電話をかけてみる事に。

流石に夜間火葬は出来ないとの事でしたので、
翌日(3月21日)の午前中に火葬をお願いする事としたのです。





さて寝ようか。
そう思ったのは深夜3時を大きく過ぎていたでしょうか。
外はまだ雨の音が聞こえてきます。

ミケはコタツのある部屋の隅に運ばれ、
私はミケさんの隣でコタツに入って寝る事にしました。
by mikenekohanten | 2008-03-20 13:18
6月18日 くもり







シロとミケとの出会いは突然でした。

私がいつも通る帰り道。
たまたま自転車のチェーンが外れて治してたら、
近くの公園から子猫の鳴き声が。

猫好きの私が見逃すハズありません。



壊れた自転車をそのままに公園に入ってみると、
目に飛び込んできた光景は当時の私には少しショックの大きなものでした。

















小さな白い子猫を、数羽のカラスがつばんでいたのです。
遠めに見て少し恐ろしい光景でした。
しかし、カラスは私に気づいてか、その場から飛び立ってしまいます。
恐る恐る近づくと、まず私の足元に絡み付いてきたのは小さな三毛の子猫でした。
恐怖から逃れるように私の足にしがみついて来たのです。
どうやらミケの法は無傷でした。
私はミケを引き上げ、白猫の方へ。
シロは悲痛な鳴き声を続けていました。

シロを良く見ると、後ろ足が真っ赤になり、カラスに喰われていた事は明白でした。

あたりを見渡しても親猫の姿はありません。
また、新聞紙を丸めた小さなダンボールが転がっていました。
捨て猫と判断した私は自転車の前カゴにその新聞紙を敷き詰め、
ミケとシロをカゴに入れて、
外れていたチェーンを入れなおすと自転車を走らせました。

動物病院へ向かうためです。

病院へ向かう途中、シロもミケも悲痛な鳴き声をしていました。
ミケはカゴの中で小さくなり、シロは動く前足だけで這って、
カゴから抜け出そうとしていました。

私は出来るだけ段差の無い道を選びながら、
何度もシロをカゴの中に戻しながら、動物病院へと向かったのです。





私の家では元々、犬を飼っていたことがあります。
名前はタロウ。
柴犬の雑種です。
そのタロウは既に亡くなっていたのですが、
狂犬病の予防接種でお世話になった、犬猫病院が一番近く、
先生とも面識があったので、そちらへ向かいました。

動物病院に入ると、見慣れた獣医が出てきました。
シロの足を見てもらったのですが、
獣医の先生はシロに人差し指を突きつけてグルグルと回し、
シロがその指を目で追うことを確認していました。
そして、先生が言います。
「これはキミの猫か、それとも捨て猫か」と言う質問でした。
私は「恐らく捨て猫です」と答えると
その病院の先生は「じゃぁ治療は出来ない」と答えたのです。

先生はシロの傷を見て続けます。
「まず、この子猫の傷を見る限り、治療しても歩けるようになる保障は無い」
「また、捨て猫の治療費を誰が払うのか」
「仮に治療したとして、誰も飼い主がいないのであればまた捨てられるのか」
そう言うのです。

なので、私は自信を持ってこう答えたのです。
「私が必ず里親を探します」と。

実は先日のお話にも少し出てきました猫会と言うグループは
捨て猫や家猫でも子供が生まれて来た子猫たちの里親を探す会です。
過去には何十匹と言う子猫の里親を探した他、
その昔は私自身も数匹の猫を飼っていました。
そう言った経緯があったため、私は里親を探す事に自信があったのです。

しかし、それでも先生の答えはNoでした。
理由は簡単です
「足の治療の間はどうするのか」
「足の治療が上手くいかなかった時、里親が本当に見つかるのか」
「足の動かない猫を誰かに押し付けるのか」
先生は私を攻め立てるように言いました。

しかし、この先生の言いたいことは十分に解かるのです。
私は長い間、猫会で里親を探すという事を行っていたのですから。
私はイロイロな考えをめぐらせた後、
最終的に決めた結論は、私がシロを飼うと言う事でした。



私がシロを飼うと言うことを告げると、先生は直ぐに手術に取り掛かりました。
私は立ち合わせて貰えなかったので
どのような治療を行なったのか解かりません。
しばらくして、先生がシロを連れてやってきました。
シロはすっかり落ち着いた様子です。

先生から言われたのは「治る見込みは五分五分」
私はシロとミケを引き連れて家に帰ったのでした。

















困ったのがここからでした。
私の家は引越しをする前は猫を飼うことも許されていたのですが、
新しく引っ越した家は動物禁止でした。

いえ、父親が禁止にしていたのです。

しかし、私は家で飼うと獣医に宣言しましたし、
シロの怪我が治るまではどちらにせよ私が引き取らないといけない為、
この猫を家で飼うしかなかったのです。





さて、私が取った方法ですが、ずいぶん古典的だったと思います。

まず、私の部屋で内緒で飼って、
既成事実を作ってしまって、バレればそのとき。
はい、翌日にはバレていました。
シロはカラスに襲われた事が余程怖かったのでしょう。
夜に怖い夢を見るようにうなされて鳴いていました。

猫を飼うことに対し、父親は断然反対を通しましたが、
私は超が付くほどの頑固者でしたので、父親の反対も物ともせず。
最終的には私の部屋から出さないと言う条件で
家で飼うことが認められたのです。

もちろん、これも古典的な方法ですね。
一度飼い始めたら部屋を脱走するでしょうし、
子猫の頃は小さな部屋でも良いですが、大きくなればそれで収まりません。
何より、私の部屋だけと言っても、顔をあわせる機会はあるでしょうから、
上手く情が移れば、他の部屋へも自由に行き来できるようになると、
初めから計画のうちでした。

















さて、
シロの怪我の経過は順調で、
先生から貰った薬もちゃんと我慢して飲んでくれて、
食欲有り、糞尿有り、と良い結果でした。

しばらくして、後ろ足を引きずりながらも歩く姿を見たときは感動したものです。

何度も通院した後、先生から
足に後遺症が見られるものの後は成長と共に治るだろう、と
治療完了宣言を受けました。

















先生の宣言通り、
シロには後遺症が見られたものの、
凄く活発に動けるまでに、足は回復しました。
階段を駆け上がるとき、前足を踏み外して、顎を角にぶつけてもがいたり、
高いところに上ったのは良いけど、降りれなくて鳴いていたり。

逆にミケはのんびりしているものの、用心深い性格のため、
ミケがしっかりもののお姉ちゃん、シロはドジな妹と
家族の中でそう言った割り振りがされていたりも。

シロの体調が良くなり、1歳を過ぎた頃になると、避妊手術を受ける事になりました。
これまではずっと家の中で飼われ、もちろんこれからも家の中で飼われるのですが、
今後の事を考えると、飼い主として避妊させておいた方が良いと言う結論に。
お願いしたのはシロの足の怪我を治してくださった先生でした。

















その後、先生には予防接種でお世話にもなったのですが、
シロが2歳の頃に獣医を辞められました。

この先生が、先日シロの病名の特定をしてくださった、
猫会のメンバーの一人の元獣医さんです。

この先生が病院を続けていて、シロの事を毎年見てくれていたら
シロの病気にも気づいてくれたのかな、なんて事も考えてしまいます。

















これが私と、シロとミケとの出会いでした。
そして9年間。
シロは少食で痩せ。
食べてもスグ戻しちゃいます。
でも、走るのが大好きで活発な子でした。
冬に寒くなると、テレビの上で寝るのが好きでした。
テレビって暖かいんですよね。
それで長く伸びるものだから、テレビの上の置物をボトボト落とします。

いつも寂し気に鳴いていました。
いつも高いところに上っていました。
子供の頃は後ろ足の後遺症からか、ドジばっかりでしたが、
4~5歳にもなると、ミケよりも活発に走り回って、
自分より何倍も高い棚に飛び上がったりもしました。

シュークリームのクリーム、プリン、抹茶アイスが大好きでした。
フライパンの油も大好きでした。
油舐めてるから絶対化け猫になるよ、なんて笑い話もしまいた。

いつも私について周り、いつも私を見て、
私のそばにいるのが当たり前の毎日になっていました。



彼女との出会いがこれほどまでに
私の心に強く根付いた事に、私は感謝しています。



















沢山の励ましの言葉、ありがとうございました。

自分を責めていないと言えばウソになりますし、
逆に自分を責めても始まらない事も理解はしています。
けれども納得いかないんですよね。
見る人が見れば「悲劇のなんたらを気取って」なんて言われるかも知れません。
きっと、私はみんなから心配して欲しいんですね。

シロの初七日を過ぎて、私にも随分と余裕が出来ました。
朝起きたときに、シロが隣にいないと言う違和感も
それが違和感に感じなくなってきました。
時間が経つという事に恐怖を覚え、安堵を覚えました。

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明日からはこれまでの記事に戻したいと思います。
最後まで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
by mikenekohanten | 2007-06-19 00:09 | 雑談
6月13日 はれ





突然ですけど、私の父親は猫嫌いです。
父親が自分で、「俺は猫が嫌いだ」と言うのです。

ただ、父親が本心で猫がキライなわけではありません。
それには理由があるのです。





人が飼う動物と言うのはその多くの場合が人よりも寿命が短いです。
犬や猫は寿命10年と言われていました。
今では動物医療が発達し、20歳まで生き抜くこともできるようになったと言います。
それでも、20歳なんですね。
ちなみに犬や猫は20歳で人間に換算すると100歳に当たるそうです。

これが、父親が「猫が嫌いだ」と言う理由の一つなのです。



人に飼われる犬や猫と言うのは、飼い主から見ると「子供」と同じです。
トイレはキレイに掃除してあげたり、散歩してあげなければいけません。
御飯だってちゃんと用意してなければいけません。
寝床もキレイに保ってあげなければなりません。

一つ一つ世話をする事で、彼らは飼い主に懐き、
「主人」として見れくれるようになります。
手が掛かる彼らの面倒を見ることで、愛着がわき、情が移ります。
やがて飼い主は「子供」と同じように、家族として生活していく事になるのです。

しかし、彼らは通常の場合、人より先に寿命がきます。
愛着がわき、自分の子供のように感じるその子達が、自分より早くに寿命がくる。
自分の子供とも言える子達が、自分より早くに寿命を迎える。
必ず、その悲しみを通る事を父親は知っていて、
「猫が嫌いだ」と言い続けているのです。










私がシロを飼いはじめた時、私は当然その覚悟を持って飼いはじめました。
そして、今もその覚悟は持っています。
だから、シロがなくなったと言う事を聞いたときの悲しみが
自分にとってどういうことなのか、理解が出来ないことでもありました。

ただ、どうしても、シロの死を自分の中で消化出来ない私がどこかに居ました。

9歳と言う若さ。
命を落とした時の凄惨な状況。
私が居ない場所で、いや、家族のいない場所で命を落とした事。
何故、そのタイミングでなければならなかったのか。
私はそれを消化する事が出来なかったのです。

私の好きな言葉に老少不定があります。
死に年齢は関係なく等しく訪れるという意味で、
これこそが本当の意味で言う平等をあらわした言葉だと思っています。
これは人だけではなく、動物たちにもいえることでしょう。

シロが亡くなってから数日が経過し、精神的に余裕が出来てきました。
今は、シロの写真を見ながら、
私は老少不定と言う言葉の意味を胸に感じる事が出来そうです。

















さて先ほどまで猫会のメンバーとお話をしていました。
猫会とは私が小学生の頃に私が作った愛猫団体です。
ほとんどのメンバーが私の同級生だったり、
私が前に住んでいた地域に住んでいる幼馴染だったりしますが、
中には私よりも年配の方や、元動物病院の医師の方もいらっしゃいます。

と言っても、
昔は年に数回会合を行ったり、会報を作ったりもしていたのですが、
私が高校を卒業する頃になると、忙しくなり、
私の同年代の友達たちも、県外に出たり、時間が取れなかったりとして、
この猫会は登録者の名簿を残すだけになり、事実上の解散となっていました。

ただ、メンバーの多くの方がシロの事を良く知る人たちだったので、
私は久々に押入れのダンボールの奥に仕舞いこんでいた名簿を取り出し、
6月12日に皆さんの元へ電話で連絡を入れ、
6月13日に私の家に集まれる人だけ集まってもらったのです。

集まってくださったメンバーは
前に住んでいた家の近くに住んでいる猫会創立時のメンバーでもある幼馴染や
シロが子供時代に色々とお世話になった元動物病院の先生など。
全員が集まったわけではありませんが、
もう顔をあわせることも無いような人たちと話をすることができました。





猫会のメンバーで色々とシロの話やそれ以外の
自分たちの近況なども話していたのですが、
ふと、誰と無くシロの死因についての内容に話が流れていきました。

シロの死因は不明です。
一体何故死んだのか、実際のところ解りません。

シロが亡くなったとき、
動物病院に電話で感染病などの可能性がないか尋ねたときに、
動物病院の先生にも細かく状況を説明して意見を仰いだのですが、
その動物病院の先生から言われたことは
「まず家猫で外に出していないのであれば感染症の可能性は薄い
 可能性として考えられることに有毒性のものを食べてしまったか、
 または、異物を食べてしまった、などが上げられるだろうが電話では特定できない」
と言うことでした。

まずは有毒性のものを食べた可能性。
しかし、シロはここ数ヶ月以上も外に脱走した事はありませんし、
シロとミケの事がありますから、家の中にそう言ったものは置いていません。
この可能性は限りなく低いです。

続いて異物を飲み込んだ可能性。
嘔吐したものを調べましたが、異物は混じっていませんでした。
体内に残っている可能性は捨て切れませんが、恐らくこの可能性もないと思います。





このことを、猫会に集まっていたメンバーに話をすると、
メンバーの一人の動物病院の医師を務めていらした元先生が
「詳しくシロが亡くなる前の状況を教えて欲しい」と言われ、
出来るだけ事細かく説明しました。

すると、元獣医の先生は
「猫のIBDの可能性が高いなぁ」と仰ったのです。

私は、そんな病名、聞いたことがありませんでした。
先生のお話では猫の炎症性腸疾患の事を指すそうです。
主な症状に、嘔吐、下痢、食欲不振を繰り返す傾向にあるそうです。





まず、嘔吐です。
通常猫は毛玉を吐くときなどにケロッと嘔吐することが間々あります。
そのため、勘違いされやすいそうなのですが、
このIBDに掛かっていると、非常に咳き込むような行動を取り、
苦しそうに胃の中の物を吐き出してしまうのだそうです。

シロは子供の頃から嘔吐を良くしていました。
毛玉を吐くだけではなく、食べたものを戻す、嘔吐癖があったのです。
普通の猫よりも吐く回数などが元々多かったのです。
シロは元々心臓が弱く、一気に食事を取った後などは必ず戻していました。
ここ2~3年でその吐く回数が更に増えたことや、
苦しそうに吐く事が続いた為に、今から約1年ほど前に
定期健診とは別に動物病院に連れて行ったことがあります。
その時の医者の診断では、触診のみでしたが、
「大きな異常は見られないし猫は通常吐くものだ」と言うことで、
犬猫用の胃薬のようなものを貰いました。

今思えば、あの頃既に症状が出ていたのです。
そしてこのときシロを診察した獣医はそれを見逃していたのです。





続いて下痢や便秘と言う症状。
胃などに炎症を起こしているため、おなかを下しやすく、
また、体力が衰えてくると便秘になりやすくなるそうです。

これをシロに当てはめると、まず、下痢に関しては心当たりがあります。
下痢をしたりしなかったりと、2ヶ月に1度ぐらいで行っていました。
翌日には便が普通に戻っていた為、強く意識していませんでした。

また、便秘ですが、これに関しては良くわかりません。
私の家にはシロの他にミケがいて、ミケもシロと同じ猫用トイレを使います。
また、猫用トイレの糞の始末は私と母親で気づいたときに行っていたので、
ちゃんと毎日糞をしているのか、ハッキリと確認できていなかったのです。

しかし、今思えば、シロは便秘気味だったような気もします。





そして最後に食欲不振。

シロは元々心臓が弱くて食事を大量に食べません。
子猫の頃からそうでした。
なので、食欲不振であるかどうか、気づいてあげることは出来ませんでした。





こうやって、先生が詳しく話をしてくださる事にシロの状況を一つずつ当てはめていくと、
大小ありましたが、大まかに全てが当てはまることが解りました。
ただ、シロは子猫の頃からIBDの症状に似た症状を行っていた為、
私は、そのIBDになった事を気づくことが出来なかったのです。

去年、1度嘔吐癖を不振に思い病院には連れて行きましたが、
そこで医者に言われたことを丸飲みせずに、
もう1つの病院で見てもらっていれば、シロの病気に気づけたのかもしれません。





そして、加えるなら
シロが亡くなる前の天気も大きく作用していたのではないか、と私は思います。

シロが亡くなる前日の天気。
香川県では6月8日(金)の夕方からとても凄い雷雨がありました。
四国電力の発表では、落雷が相次ぎ、
1万戸以上の家庭で停電が起きたと言います。

香川県に住んでいる方ならあの日の雷雨の異常さを感じたはずです。
私も夕方から家に引きこもっていましたが、
物凄い雷雨が、家の真上を通って行った間隔に陥りました。
雷の光と音がほぼ同時に起こり、まるで屋根の上で光っている・・・

物凄い雷の中、私がいつものように椅子に座ってTVを見ていると、
シロが枯れた声で鳴きながら私の方へと歩いてきました。
足がガタガタと振るえ、体は伏せた状態に近い姿で私に擦り寄ってきたのです。

そうです。
そのとき、シロは雷に怯えていたのです。
そして、その怯え方は異常でした。
私はシロを抱くと、雷が通り過ぎるまでの間、ずっとシロの体を撫でていました。

夜11時ごろになると、雷雨はすっかり通り越してしまっていました。
シロも何とか落ち着いたようで、私も安心しきっていました。
シロは、その日ちゃんと私のベッドで寝ましたし、
私が朝起きたときは、いつものようなシロの姿でした。

けれど、シロは子猫の頃から心臓が弱い事が解かっていました。
昨日の雷雨でシロがどれほどのストレスを感じたのでしょうか。
そのストレスが心的障害を起こしたと、私は感じています。

そして、6月9日、
私が家から出て2~3時間の間にシロは亡くなったのです。
















何故私がシロの死を自分の中で消化出来ないのか。
これがわかった瞬間でした。

私は何故シロの病気に気づいてあげれなかったのか。
いつも一緒に居て、シロの体の異変を察知する事が出来なかったのか。
たった1件の病院につれて行っただけで何故納得してしまったのか。
シロの心臓の弱さを知っていながら、
前日の雷雨の時のストレスを考える事が出来なかったのか。

このどれか一つでも気づいていたら、
少なくともシロは、そのとき死ぬ運命ではなかったのだと。
そして、それを気づくべきはずっと一緒に居た私のはずだったのです。
by mikenekohanten | 2007-06-13 00:06 | 雑談
6月11日 はれ





6月10日の午後。
私が家に帰って来ると、リビングやキッチンがキレイに片付いていました。

母親は9日に掃除をする予定だったみたいだけど、
バタバタしてしまって、10日に掃除をしたみたいです。
ミケが片付いた部屋の隅っこでちょこんと座っていました。





そのちょこんと座るミケに違和感を感じ、私はミケを見ていました。
この2日間、シロにばかり気をとられていたが、
改めてミケを見てみて、ミケの行動がいつもと違う事に気づきました。

















シロもミケもずっと家の中で飼われて居ます。
だから、外に対する思いが強いのでしょうね。
スキを見つけたら逃げ出そうとします。

大体活発に動くのがシロで、のんびりと動くのがミケ。
なので、家から脱走しちゃっても、ミケは簡単に捕まっちゃうんですね。
逆に中々捕まらないのがシロ。
懐いていた私にすら捕まりません。
これでも、小さい頃は、窓から私が呼ぶだけで、戻ってきていたのですが、
それで戻ってきたのは最初の1~2年まで。

実はこれには原因があります。
だって、外から帰ってきたら必ず猫シャンプさせられるんです。
これがシロもミケも大嫌いなのです。
外に逃げ出した後捕まると猫シャンプされる、と覚えてしまったのですね。
まぁ、最終的にはお腹を空かせて帰ってきちゃうんですが。



さて、ミケさんは簡単に捕まるので、比較的早い時間帯に捕まえて、
お風呂場に入れて、猫シャンプ。
風邪を引かないようにタオルでしっかり拭いて、毛を乾かして。
その後、毛が飛ぶのでやさしくブラッシング。

ひと段落して次はシロの番ですが、
シロはお腹が空くまでなっかなか捕まらない訳です。





すると、落ち着かないのがミケなんです。
シロの姿が見られくってあっちでウロウロ、こっちでウロウロ。
外からシロの鳴き声が聞こえようものなら、すぐにそっちに飛んでいくんですね。

ようやく、捕まえたシロをミケ同様に猫シャンプしてあげるんですが、
お風呂場で悲鳴を上げるシロを心配して、お風呂場近くまで様子を見に来るんです。
シロをキレイに洗って離してあげると、
シロさんはお腹が空いているものだから御飯の皿に一目散。

ミケはそこに近づいて
シロの体の臭いを嗅いで「ウゥ―――」と唸るんです。
普段はシロの臭いがあって猫シャンプの後は違う臭いがするかな? 
とも思うのですが、やっぱり個人的には、
いつまでも帰ってこないで心配させて、なんて風に怒っているように見えるんですね。

















そんなミケさんが、全然シロを心配していないようなんです。
朝、シロと最後のお別れをした後、まだ1日も経っていないのに、
ミケはシロを探す素振りすら見せないなんて。

やっぱり、ミケさんもちゃんと解かってたのかな、と思ってまた胸が痛くなります。
そして、私よりもその強い心を持っていることに気づかされます。

いつものミケと違う。
そんな風に感じたのですが、それはその後も続きました。

















私が夜、お風呂に入り、暖まって、お風呂から出たとき
いつもなら、シロがそこに待っているのですが、待っていたのはミケでした。

ミケが私がお風呂から出てくるのを待っているなんて、
今までに1度たりともなかったことなのに。

お風呂から上がって、冷蔵庫から飲み物を取り出し一息ついて、
携帯電話とシロの写真を持って二階に上がるのですが、
このときミケがシロと同じように私の後を付いてきていたのです。

2階の自分の部屋に上がろうと、
階段を上がり始めて半ばまで来たときに、
ミケが付いてきていない事に気づきました。

階段の上り口を見ると、ミケがじっと私を見ています。

なんだか、まさかなぁなんて思いながら、
「ミケさん、おいで」と言っても来る素振りを見せず、ずっとこちらを見ているだけ。
そこで、私はジーとミケの顔を見ながら、ゆっくりと上がり、
私は部屋に入ると、ミケの顔を見ながらゆっくりと扉を閉めました。

すると、どたどたどたと、ミケが階段を上がってくる音が聞こえました。
私は待っていたとばかりに扉を開けます。

ミケを私の部屋に招き入れると、扉は猫1匹が通れる隙間を開けておきます。
シロが私の部屋を出入りしているものでしたから、もうクセにもなっています。
ミケが私の部屋に来なかったら、この扉もちゃんと閉める事になっていたのかな。

















私の部屋にはシロの遺骨。
私はシロの写真を横に置きます。
部屋の東から西に遺骨を置くのはあまり良くないのですが、
私の部屋に置き場が無かったために、現在はそのように。
今度の仕事がお休みの日に部屋の模様替えをかねてちゃんと西向きにしないとね。

ベッドに座ると、ミケもベッドに乗ってきました。
あんなに2階に上がるのを嫌がって、
昔に私が無理やり抱っこして連れて上がっても、
1分しないうちに部屋から逃げ出して1階に行く子だったのが、
今日は私の横に居るんです。

私はクシでミケの体を梳いてあげます。
凄く気持ちよさそうにしていていました。
10分ほど、毛梳きをして、ようやく、シロとミケにお休みを言ってベッドに横になると、
ミケはゆっくりと私の顔の横に座り込みました。

シロの特等席だった場所にです。





凄い違和感を感じました。
シロはチョコンと私に遠慮がちに座るのですが、
ミケはどかっと座ったかと思うと体を横に倒して長くなったり・・・
でも、まるでシロが居るように見えたりもしました。



私はこの時、ふと思ったのです。
ミケは私の事を思ってここに来てくれているのかな?
それとも、ミケも本当は寂しくって、1階で一人で寝るのがイヤなのかな?
シロが居なくなって、ミケにも変化が見られ始めたようです。
そんな事を考えながら私は電気を消して眠りに付いたのです。

昨日、まともに寝ていなかった所為か、
今日はまぶたを瞑ると、すっと眠りについていました。

















6月11日 午前6時。
私は携帯電話のアラームで目を覚ましました。

横を見ると、ミケのお尻が見えます。
結局、そこで寝て1階には下りなかったようです。
それどころか、シロと同じようにお尻をこちらに向けています。
シロと違うのは白が痩せていて小さなお尻なのに対し、
ミケはぽちゃっと牡丹餅のような形状をしています。

お前たちは姉妹そろって私の顔がキライか、
私の口臭はそんなに臭いのか、

なんて事を思った瞬間に、こむら返りを起こし、激痛と共の目覚めでした。
ベッドでもがく私を見てミケは慌ててベッドから降りて避難。
私はしばらく激痛にもがいた後、落ち着いたところで、ベッドから降りました。





私はシロとミケに「おはよう」と挨拶すると、1階へと降ります。
ミケが先導し階段をドタドタと下りて、
私はミケの後を付いてシロと一緒に降りて行きます。

朝起きたら、いつもどおりの朝ごはん。
生卵と醤油と御飯とウィンナの準備。
そこに、母親がおきてきて、ミケさんに御飯を上げます。

いつもと変わらない朝のような、胸を締め付ける思いもあります。
月曜日、新しい週の始まりです。
今日はお仕事の日です。

私は朝ごはんを食べた後、
8時ぐらいまで時間をかけて体を起こすと、
着替えて、仕事の仕度を整え、
シロとミケに「行ってきます」と声を掛けて、仕事に出ました。
by mikenekohanten | 2007-06-11 15:17 | お知らせ
6月10日 はれ


初めに。
前の記事で暖かいコメントを下さった皆様、
本当にありがとうございます。
お返事はまだ書く事が出来ませんが、
私の整理が付き次第お返事を書かせていただきます。



















昨日、PCでブログに記事を書いた後、あたりを見渡すと、
ミケの姿が見えなくなっていて、
気になって探してみたら、
なんと、真っ暗な2階の私の部屋の私のベッド、
しかも、いつもシロが寝ていた場所に陣取って眠りに付いていました。

昨日、ミケはおなかが重くって2階に上がらない見たいな記事を書きましたが
シロを探していて、2階にあがったのかと思うと、胸がまた痛くなります。




私は1階に戻り、簡易なシロの仏間に戻ってきました。
そのとき、ふと、私がいつも使っている1眼デジカメが目に入りました。
何でもかんでも写真を撮って記録している事が習慣になっている所為でしょうか、
今の・・・眠っているシロを写真に撮りたいという衝動に駆られました。

でも、それをどこかで間違いだと言っている自分がいる気がして、
隣の部屋に居た母親に
「今のシロの姿は写真に撮らない方が良いかな?」と聞きました。
もちろん、母親は「撮らない方が良い」と答えました。

シロの今の状況を記憶に焼き付ける。
そして、生きていた頃のシロの姿を思い出す。
写真に残すのは、生前の元気な頃の写真だけでいい、と
そう自分に言い聞かせました。



私は昨日、お風呂から出た後、
父親が作った簡易なシロの仏間の横に座布団を引き、
横に並ぶように座って、上から毛布を着ました。

ダンボールの蓋は開いた状態でいつでも、シロを覗き見る事が出来るのですが、
じっと見るのが辛くて、
ちょっと覗いてシロを確認しては、正面を向いてボーッとして、
またシロを覗いてはボーッとしてを繰り返して
そんなことをしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていました。





私がこの日、朝までシロの隣に居たのには訳があります。

PCの記事を書いて居たとき、シロの事をイロイロ思い出していたのです。
そして、ふと気づいたのが、私がシロにどれだけ助けられていたのかと言うこと。
私とシロとの出会いは、私がシロを助ける形でしたが、
その後、私のすぐそばで、一番に私を助けてくれていた存在でした。

私が朝起きて1階に降りてくると、シロも付いて降りてきました。
私がPCを始めると、PCの横や隣の椅子の上に乗って寝ていたり、
私がPCの操作を中断してリクライニングを倒すと、私のおなかの上に乗り、
私がお風呂に行くと、私がお風呂から出るまでお風呂を覗き、
私がトイレに居ると、トイレから出てくるまであたりをウロウロしていました。

今思えば、私が家に居る間、シロはずっと私についてきてくれました。
いつも私のそばに居てくれました。

だから、少なくともこの日だけは、ずっとシロの隣に居てあげたかったのです。

これはお詫びではありません。
ありがとうと言う感謝の思いです。

本当は、シロが夢に出てきてくれるかな? なんて淡い思いもあったのですが、
目覚めたときに、私の記憶には残っていませんでした。

















午前5時45分。
私は目覚めました。
携帯電話のアラームより15分ほど早くです。

座布団を敷いていたとはいえ、
座って眠ってしまっていた所為か、太ももがとても痛いです。

隣を振り返ると、
シロは昨日と変わらぬ体勢で眠っていました。
私より早起きのシロが、眠ったままでした。

いつもと同じ朝ではありませんでした。

ぼんやりとシロを眺めていると、
いつの間にかミケが2階から降りてきていて、
こちらを訝しげに見ています。
私が「おはよう」と言っても、こちらを見ているだけです。

そして、私とシロの周りをウロウロとしていたのですが、
やがてダンボールを覗き込んでシロを確認し、
「ウゥ―――」とうなり声を上げました。
私はすぐに「ミケさん、シロとお別れなんで」と言うと
そのままダンボールから手を離し、またどっかに行ってしまいました。





6時になって、携帯電話の目覚ましのアラームがなります。
既に目覚めていたのですが、その音を合図に私は動き始めました。
シロはやっぱり、眠ったまま。

私は朝ごはんの準備
メニューだけは、いつもと同じで生卵と醤油とごはんとウィンナ。

私の携帯電話のアラームに気づいてか、母親が起きてきて、
ミケのお皿に朝ごはんのキャットフードを入れました。
私は「シロさんのもお願い」と母親に言います。
私が言わなくても、母親はちゃんと御飯を入れてくれていたのだろうけど、
言わずには居られませんでした。

母親はシロさんにも少量の水とキャットフードを与えて、
やがて、キャットフードを棚にしまいました。

そのとき棚に並んだ、猫の缶詰が目に入りました。
この間まで、残り5個ぐらいしかなかったのが、
今は30個ぐらい並んでいたのが見えました。
たぶん・・・昨日朝ごはんを食べに外へ出て、
帰りに寄ったお店で、猫の缶詰を買ってきたのだと思います。
2匹だとすぐになくなるから、安売りの時に大量に、と。





昨日まではリビングでのんびり朝ごはんを食べていたのですが、
今日はキッチンの隣で朝ごはんを食べました。
シロは私の後ろで寝ていました。
こうやって朝御飯を一緒に過すのも、
リビングが猫禁制になって久しぶりだったように思います。

普段なら8時ぐらいまで時間を掛けて体を起こすのですが、
今日は御飯を食べたら、すぐに服を着て、歯を磨いて、トイレ。
準備万端。

ダンボールの中のシロを覗き込んでいると
6時45分ごろに家のチャイムがなりました。

動物の葬儀屋さんがお迎えに来てくれたのです。
約束の時間は7時だったので、約束の時間より15分も早い。
私は、この15分、まだ一緒に居たかったのですが、
葬儀屋さんを待たせるわけにも行かず、シロの顔を眺めて、
ようやく、ダンボールを抱きかかえました。




外には屋根つき軽トラが1台。
開かれた扉にはキレイな白い箱がありました。

葬儀屋さんはダンボールの中のシロを毛布ごと取り出し、
キレイな白い箱に入れました。
シロの周りに衝撃緩和材のパチパチを入れました。
母親がその白い箱の中にシロの大好物のシュークリームを一緒に入れました。
そしてキレイな白い箱に蓋がされ、車の扉が閉められました。

葬儀車が先導し、母親が車を運転しました。
私は助手席に乗って前の車を見つめています。
日曜日の朝ということもあってか、道はすいています。

私の家から15分ほど車を走らせて、鴨川駅。
そこから山に入り、城山温泉を通り抜けて更に山奥へ。
10分ほど走らせてようやく見晴らしの良い場所にペット霊園がありました。





シロは車から降ろされ、小さなプレハブの納骨堂に連れて行かれました。
そこには観音様があり、周りには亡くなられた子達の遺骨が並びます。
そこにやがて線香が焚かれ、私と母親はお焼香を上げさせていただきました。

これで、本当にシロの魂とお別れになります。

母親はシロの眠る箱にお花を入れてあげました。
また母親の目に涙が浮かびます。
私はそっとシロの顔を上げて覗き込みます。
どうしても取れなかった口元の血、口から出た舌、そして半分開いた目。
安らかな眠りとは言えないと思います。
きっと苦しかったのだと思います。
でも、観音様が必ずシロを天国に連れて行ってくれると。
私はもう一度手を合わせ、お願いしました。





シロは納骨堂から続いて火葬場へと運ばれます。
ペット専用の火葬装置でしょう。
大きさは非常に小さく感じました。
シロはその中に入れられました。

装置に点火される前に、手を合わせ、
やがて葬儀屋の手により火が入れられました。





私と母親は隣の待機室でまたされます。
その間、母親と遺骨について話し合いをしました。
納骨をどうするのか。
遺骨はやはり、ちゃんと納骨するものなのですが、
私はまだ心の整理が付かず、すぐに納骨をお願いできないで居ました。

シロさんの魂は観音様がちゃんと極楽浄土に連れて行ってくださいます。
私自身遺骨崇拝などといった考えもありませんが、
やはり私の心がそれを離してくれないのです。

そう言う思いを母親に伝え、
1年間、来年のシロさんの命日まで私の部屋に預かり、
その後、納骨先を考える事に決めました。





やがて、火葬場にシロが入って30分ほど経って、
葬儀屋さんがシロさんの遺骨を持ってきてくれました。

小さなパレットに足や肩、肋骨、顎、頭部と並びます。
どれが喉仏かと探しましたが、ふと、動物に喉仏が無いことに気づきました。
人の遺骨の場合、体の悪かった部分の骨が黒くなるという話がありますが、
シロさんの遺体にそのようなところは見当たりませんでした。

母親と二人で骨壷に、足から順に骨を納骨していきます。
そして、最後に頭蓋骨。
喉仏がありませんので、これがシロの心となります。

葬儀屋さんのお話では、普通、小さな猫などは
火葬の時に骨がボロボロになって、細かくなってしまっているそうなのですが、
シロさんは原型を留めた形で納骨する事が出来ました。

小さな骨壷に白の頭蓋骨を納骨していたとき、
シロってこんなに小さかったんだなぁ なんて変な想いが頭を掠めました。





骨壷は私の手の中に。
母親は車の運転席に。

シロは私の手の中で、私たちの家に戻ってきたのです。
魂は成仏し、天国に行って、その中にはありませんが、
シロの心は骨壷の中にあると、信じています。





時計を見ると、8時20分。
今日はビジネスマナー電話検定Aがあります。
私はシロの遺骨を母親に預けて、
ビジネスマナー電話検定Aを受けるため、家を出ました。
by mikenekohanten | 2007-06-10 19:41 | お知らせ
6月9日 雨のち晴れ




今日、シロが亡くなりました。
享年9歳。
死因は不明ですが、元々心臓が悪かった事、
また、胃を悪くしていた痕跡があるので、それが原因だと思います。



私は今日一日を忘れないために、ここに記そうと思います。
思い入れのある子の死ですから、私の記憶にはずっと残っていると思います。
けれど、それでは私の想いが落ち着かないのです。
もしかしたら多くの人にシロという子の存在を知ってもらいたいのかも知れません。

















朝、6時
私はいつもどおり起床します。
私の横にはシロのお尻が見えます。

いつもどおりの朝の光景です。

シロは私にお尻を向けて寝ます。
私がむくむくと体を起こすと、シロもそれに気づいて体を起こします。
この時間帯は私よりもシロの方が早起きです。
シロは私の顔をじっと見てくるので、私はシロにおはようと言いながら頭を撫でます。
すると、シロは凄く枯れた、かすれた声で「にゃぁぉ」と鳴きました。
私がベッドから起き上がると、シロもベッドから降りて先に部屋を出ます。

私の部屋は2階にあり、
シロは私より先に、小さなお尻を振りながら1階へと降りていきます。
それに続いて私も1階へと降りていきます。
冷蔵庫を開けて飲み物を探すけど、見当たらず。
ふと目を下にやると、ミケとであいました。
シロは夜寝るときに私の部屋までやってくるのですが、
ミケは2階に上がってくる事は殆どありません。
理由は2つで、1つはミケは母親っ子であり、私よりも母が好きであること。
もう1つは、ちょっとぽっちゃり体系で階段を上がるのが苦しいこと。
私は勝手にこの2つが理由なんだろうな、と思っていました。

飲み物が無いため、仕方なく、私は朝食の準備をしてリビングへと向かいます。

私は普段大体6時に置き、
出勤時間になる8時までにゆっくりと体を目覚めさせます。
大抵、外を歩いてきたり、朝のお風呂に入ったりするのですが、
今日は特にそう言った事をせずに、
リビングでテレビニュースを見ながら朝食を食べることに。

朝ごはんのメニューは生卵と醤油とごはんとウィンナ。
所謂、卵ごはんです。
私は外で外食でもしない限り、朝ごはんは毎朝コレです。
私が朝食を準備している横で、
母親がシロとミケに朝ごはんのキャットフードをあげていました。

これも、いつもの光景。

リビングに朝食を運ぶとドアを閉めます。
実はリビングに猫が入る事は出来ません。
というのも、一番上の姉が第二子を産み、まだ幼いのですが、
稀に我が家につれて遊びに来るため、リビングだけは猫禁制になっているのです。
私は一人、朝食を食べながらテレビニュースをみていました。





さて、8時近くになると普段なら仕事に出る準備をします。
今日はお仕事はお休みで、別の用事があったため、そちらに出かける準備です。
服を着て、トイレ、洗面所で歯磨き。
しっかりと体が目覚めたところで家を出ます。

ミケに言ってきますといって玄関へ出て靴を履き、車に乗り込みます。
今思えば、今日はシロに行ってきますと言っていません。
もしかすると、私がリビングから出てこなかったので、
あきらめて2階に戻って寝てしまったのかも知れません。










いつもの出勤と同じ時間帯ですが、今日の目的は違います。
今日は国営讃岐まんのう公園で
プロジェクトWetエディケータ養成講座と言うものが行なわれ、
私はその一般参加者として登録していたのです。

小雨の中、車のワイパがゆっくりと左右します。
まんのう公園に近づくに従い、少し雨が強くなったようにも感じました。



プロジェクトWetとは水に関する教育プログラム。
詳しい内容はここでは省きます。
Webで調べてみてください。

私は公園の事務所で受付し、研修室へ。



プロジェクトWetは、開始時間に少し遅れが見られたものの、
問題なく、トントンとプログラムが進んでいきます。
面白いプログラムが数多くあり、非常に勉強になりながら、午前の部が終了。

昼食時間をはさみ、持ってきていたお弁当を食して午後の部に備えた頃、
父親から私の携帯電話に電話が掛かってきたのです。





時間は12時33分。

私は研修室に居たため、一度電話を保留にし外に出ました。
朝から降っていた雨はいつの間にか止んでいて、気持ち良く晴れ渡っています。

そして、駐車場に出て父親に電話を掛けなおします。
「もしもし? 私だけど?」
そして、電話に出た父親の第一声は「シロが死んだ」でした。

















電話は約1分程度で切られます。
父親からシロの状況を聞いていたのですが、殆ど覚えていません。

そして、私はプロジェクトWetを切りやめて家に帰ることを考えたのですが、
父親から「シロはもう亡くなっている。
おまえが帰って来るまでちゃんと見ているから、
仕事を全部片付けて帰ってきなさい」と言った内容を言われ、
私はプロジェクトWetの午後の部に出席したのです。




正直に言います。
プロジェクトWetの参加者の方々には申し訳ないのですが、
受講中、私の頭の中は真っ白で、何も頭に入ってきませんでした。
今思い返しても受講の内容が断片的にしか思い出せません。

こんな事を書けば、そんな状態で出席せずさっさと帰れば良かったんだと
言われる方もいらっしゃるかも知れません。
その通りだと思います。
ただ、私にはそんな事すら考える事ができませんでした。

プロジェクトWetの午後の部が終了した後、
私は自分の荷物を片付けると、一目散に家へと向かいました。
早く家に帰りたいと重いと共に、
今日ほど、安全運転に気をつけた日も無いように思えます。

















家の駐車場に車を止め、玄関へ。
玄関を開けて一番に感じたのは線香のにおい。
家の奥に向かうとキッチンで母親が夕食の準備をしていました。
後姿はいつもと変わりないはずなのに、
お帰りといった母親の目は赤くなって、
今までは困惑しかなかった私の心に胸を締め付ける何かが込み上げました。

キッチンの隣には土台となる大きなダンボール。
その上にミカン箱大のダンボール。
ダンボールの前には燃え尽きた線香の入った線香立て。
少量の水とキャットフードと1個のシュークリーム。
そしてキクなどの仏花。

父親が簡易だけど、シロのための仏間を作ってくれていたのでした
母親がシロの大好きだったシュークリームを買ってきてくれていたのでした。

ダンボールの蓋は閉まっていましたが、シロがそこに居ることは解かりました。






ゆっくりとダンボールを開くと、
そこにはシロの姿が見えました。
そこにはキレイな毛布がひかれていましたが、
シロの遺体は直視し難い光景でした。

目は見開き、
口や両腕、首に血の跡が残っていたのです。

私がそれを見ていると、母が私の近くまで寄ってきて、
私に発見したときの状況を語ってくれました。

















私が家を出た後、10時ごろに、
父親と母親と姉と、姉の娘息子で
朝食の、所謂モーニングセットを食べに出たそうです。
そして、帰りに数箇所お店によって買い物を済ませ、
家に着いたのが12時ごろだったと言います。



今日は家の部屋々々を一斉に掃除する日だったらしく、
母親は一階の掃除、父親は姉の娘息子を連れて
2階の私の部屋ではない、もう1部屋の方へと向かったそうです。

母親は買い物したものをキッチンに置き、
自分のカバンなどを自分の部屋に置きに戻ったそうです。
そのとき、キッチンの隣にシロさんが寝ているのを発見したと言います。
母親は自分のカバンを自分の部屋に置いていたときに、
父親が2階から呼ぶ声が聞こえたそうです。



父親が姉の娘息子を2階の部屋につれて
階段を上がっている途中で、脱糞を見つけたそうです。
シロもミケも玄関の猫用トイレ以外でフンをする事はまずないのですが、
階段にフンをしていたのを見つけ、2階から母親を呼んだのでした。

そして、姉の娘息子を2階の部屋に入れた後、
ふと私の部屋を覗いてみて、
部屋中に嘔吐が撒き散らされているのを見つけたようです。

母親が階段の脱糞と私の部屋の嘔吐をきれいに片付けている間、
父親は1階に降りてきました。
そのとき、キッチンの隣の部屋で眠っているシロを見つけたのです。

















そのときには既に息絶えていたそうです。



キッチンの部屋は薄暗く、
恐らく母親が眠っているシロを確認したときには息がなかったのでしょう。

部屋の電気をつけると、
シロが亡くなっているのを確認した部屋には
アチコチに吐血の後が見つかったそうです。
私が今こうしてPCの電源をつけている部屋ですが、
PCを置いている机の上、
私が普段PCをしているときに、シロが横に座っている椅子の上、
そしてシロが息絶えていた床。
更に失禁した跡も見つかったそうです。

父親はすぐに母親を呼び、部屋を片付けさせて、
父親は私に電話した後、ダンボールなどを準備し、
シロを暖かい毛布の上に寝かせてくれたのだといいます。

母親は血がこびり付いたシロの体を布でふき取ってくれたのですが、
そのときはまだ体温があったと言って居ました。

















部屋の乱れ方を見ると非常に辛いです。
そして、私が認識した最後の姿は
朝起きたときのお尻、枯れた鳴き声
いつもどおりの朝でした。

母親の話を聞き、シロの体を撫で、既に硬くなっている事を確認しました。
不思議ですよね。
見えているだけなら、まだ息をしているように見えるんです。
触って、硬くなっているのを見て初めて死んでいると実感しました。
いや、死んでいると実感しながらも、やはり触れていなければ、
今にもむくっと起き上がりそうに見えます。





私がまずしたことは動物病院への電話でした。
猫の予防接種などをいつもお願いしていた病院です。

最後の状態の詳細をお話して、
何か感染症などの可能性がないかを問いました。

私の家にはもう一匹ミケと言う猫が居ますし、
まだ0歳の姉の息子なども、姉が連れてきますから、
まず被害が出ない事を確認したのです。

そして次に電話したのは動物専門のお葬式をあげてくれる会社です。
翌日の私の日程は既に決まってあり、
良い時間に火葬してくれるのかを問い合わせました。

そしてそれが済んだ跡、1時間ほど
シロの隣で体を撫で、タオルで体を拭いてあげました。
見開いた目は締めようとしても無理でした。



そして私は今、PCでキーボードを叩いています。
私の背中にはシロが横たわっています。

















H15.10.9
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携帯電話で撮影

H16.10.31
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携帯電話で撮影

H18.8.3
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H18.8.8
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H19.12.25
a0059328_21222088.jpg


H19.12.25
a0059328_2123661.jpg


私が撮影した最後の写真がこちらです。
可愛く撮れていますよね?
















明日、7時に火葬してあげます。
だから、今日はこれからお風呂に入って、
その後、明日の朝までシロの隣でずっと居てあげようと思います。
by mikenekohanten | 2007-06-09 19:49 | お知らせ
にょろんちょ はゆです♪



以前より、
リアルのお友達やブログのお友達から
「表紙を飾っているネコは何者だっ!!!」
「紹介しろっ!!!」
と言ったお問い合わせをいっぱい頂いておりますっ(≧▽≦)
(実際はもっと普通に聞かれてます♪)

そこで、今回は
色々な方から頂いたお問い合わせの1部を
雑談という形で少しだけ紹介します♪

















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まずは
「はゆさんのExblognameになっている"Mikenekohanten"の意味は何?」
と言う問い合わせから答えますね(・`ω´・)



Mikenekohantenを三毛猫斑点と思っている人も多いみたいなのですが、
実は三毛猫飯店と言う意味合いでつけられています(≧▽≦)
一体どう言う名前かと言いますとですね・・・

恥ずかしながら学生時代に行なっていたバンドのバンド名が
三毛猫飯店 にゃんにゃん亭という・・・( ̄▽ ̄;)ヾ

今思うとこんな恥ずかしいネームでよく活動出来ていたなぁヽ(;´△`)ノ
しかも、バリバリロックバンドでした・・・(;T△⊂)

楽器が出来ないはずのはゆさんは
ギター(指がついていけず) → ドラム(正確なリズム叩けず) → ベース(外しまくり)
と言うような経緯を辿り行き着いたのが・・・

MCヽ(´―`)ノ

















orz





当時は普通にmaster of ceremonyをしていましたが、
やがてmicrophone controllerへと移行していきました(≧▽≦)
コーラス込み込みでスキャットやrapを行なっていました(* ̄ー ̄)
喋りには自信ありませんが、喋りには自信があるのです(意味不明

実はここだけの話ですが、
某地方ラジオで隔週10分間と言う短い時間ですが、
自分のコーナを持っていた頃もあります(・`ω´・)ビシッ
(この頃は三毛猫飯店の名前を使っていませんでしたが)

ってな訳で、
個人的にはその頃からこの三毛猫飯店と言う名前には思い入れがあるのです(≧▽≦)

















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2つ目の問い合わせは
「自己紹介のところにあるにゃんこちゃんを紹介して」
「写真クリックしてみたけど大きくならなかった~」といったお話。

私の家では2にゃんのにゃんこが一緒に生活をしているのですが、
今回は、その片方(お姉ちゃん)にあたる
三毛猫のミケさんをご紹介。
















ハイ、
ネーミングセンスの欠片もありませんね(;⊃△⊂)



母親は"みーちゃん"って呼んだり、"みみちゃん"って呼んだりしています。
キュートなタレメで、のんびり屋さん。
甘え上手で腹黒さんです(* ̄ー ̄)

ミケさんは母親っ子でいっつも母親の部屋で和んでいます。
女の子なんだけど、ちょっと食べすぎでぷにぷにのお腹(≧▽≦)
(私はあまりミケさんの事を言えませんが・・・)

もう約8歳になるので人間に換算するといいお歳。
最近歩く姿も少しのんびりでダルそう・・・
一緒にダイエットするかぃ?(´・ω・`)

普段はしら~んぷりしているんだけど、食事時になると横にちょこんって座って
スッゴイ目をとろ~んとさせて「ひとくちちょうだい」と訴えかけます( ̄▽ ̄;)ヾ

最近は姪っ子(2歳前)がしょっちゅう遊びに来ていじめられるので
怯えてしまって隠れている事が多いミケさんでした♪

















ってことで、今回のお問い合わせに答えようのコーナはここまで(・`ω´・)
次回はシロさんの紹介も含めたお問い合わせに答えようのコーナをお楽しみにヽ(´―`)ノ
by mikenekohanten | 2006-08-10 00:53 | 雑談